我が国で稲作中心の農耕社会が広まったことによって、社会のしくみや人々の生活にも大きな変化がもたらされました。
人々は水田の近辺で生活した方が便利なので、平地に定住するようになりました。住居も縄文時代の竪穴(たてあな)住居から、掘立柱(ほったてばしら)の平地式建物が多くなり、住居が集まってつくられた集落の規模(きぼ)も、住居が増えることによって次第に大きくなっていきました。
集落が大きくなるにつれて問題になるのは、いかにして集落全体を外敵から守るかということです。そこで、人々は集落の周りに深い濠(ほり)や土塁(どるい)をめぐらしました。このような集落のことを環濠(かんごう)集落といいます。
※下記の映像は6月5日までの掲載分をまとめたものです。
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いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち おはようございます!
確かに
農作物の供給が安定してくるという事は
人々の暮らしも豊かになってくるという
事ですものね。
そうなると、その安定を奪おうとする輩も
出てきたりするので、その確保の方に
尽力を尽くすようになる。
出来事の流れを感じました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、これは自然な流れです。
理屈や根拠だけではなく、素直に考えればおのずと分かりますよね。