サイパンからは新開発の長距離重爆撃機B29の行動範囲に東京が入り、我が国は本土の防衛すらままならない状況となったことから、一連の責任を取って東條内閣が総辞職し、小磯国昭(こいそくにあき)内閣が成立しました。
小磯内閣は、戦争を継続しながらも和平工作を何度か試みましたが、陸軍大将とはいえ予備役であった小磯首相自身の指導力不足もあって不調に終わり、昭和20(1945)年4月7日に総辞職すると、元侍従長で予備役海軍大将の鈴木貫太郎(すずきかんたろう)が新たに内閣を組織しました。
鈴木内閣は、表向きは本土決戦などの強硬策を唱えながら、その裏では密かに戦争終結を図ろうと努力しました。その後、紆余曲折(うよきょくせつ)の末に、我が国は同年8月に、連合国側からのポツダム宣言を受けいれるかたちで終戦を迎えたのです。
※下記の映像は5月2日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
そうですよね。
以前黒田さんがおっしゃられた様に
戦争は始めることよりも、終わらせる方が
大変なんでしたよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
詳しくは第41回歴史講座で紹介済みですが、鈴木首相は困難な戦争終結を見事に成し遂げていますね。