「主張」では、「国民が共有する豊かな知識の継承を妨げ、歴史への興味を削(そ)ぐことにならないだろうか。強く再考を求めたい」と最初に指摘したほか、今回の改定の理由である「聖徳太子は死後につけられた呼称で、近年の歴史学で厩戸王の表記が一般的である」見解についても、「国民に親しまれ、浸透している名は聖徳太子である。厩戸王は、学年の理解度により、併せて教えればいい。小中で教え方が異なる理由もよく分からない。聖徳太子が一般的なことを、自ら認めるようなものではないか」と述べています。
また、大阪の四天王寺や奈良の法隆寺をはじめとした、全国各地の聖徳太子ゆかりの寺院の存在を、「現在もなお、太子を信仰したり敬慕したりする善男善女でにぎわっている。それは、日本の仏教史や精神文化史などを顧みる上で極めて重要なことである」と肯定的に評価しています。
さらには、同じく没後に諡(おくりな)をされた弘法大師(空海)を例に挙げ、「弘法大師の名を知らなければ、全国各地で盛んな大師信仰を理解することはできない」と指摘しました。
そして、末尾で「厩戸王を教えるだけでは歴史は細切れの無味乾燥のものとなり、子供は興味を抱くまい」「厩戸王が後に聖徳太子として信仰の対象となり、日本人の心の持ち方に大きな影響を与えた。それを併せて教えればよい」「時代を貫いて流れるダイナミックさを知ることこそ、歴史を学ぶ醍醐味(だいごみ)ではないだろうか」と述べ、「聖徳太子」の重要性を強く訴えています。
参考:【主張】新学習指導要領案 聖徳太子が消え、「厩戸王(うまやどのおう)」と呼ぼう これには首をひねる
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ぴーち こんばんは!
仰る通り、大衆に広く浸透している
呼称であれば
それで良いと思うのですけれどね?
何が何でも史実に基づかなければ
いけないというものでも無いでしょう。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 全くもってそのとおりです。
次回の更新で、聖徳太子の名前を消したい思惑が推論できると思われます。