就任当時54歳の若さだったゴルバチョフは、それまでの社会主義体制の立て直し(これを「ペレストロイカ」といいます)に着手し、情報公開(これを「グラスノスチ」といいます)を軸とした、政治や社会の自由化を推進しました。
また、アメリカとの軍拡競争が国家財政の危機を招いたことから、ゴルバチョフはアメリカなどの西側諸国と折衝を重ね、1987(昭和62)年に中距離核戦力(IMF)全廃条約をアメリカと調印したほか、翌1988(昭和63)年には国連総会に自ら出席して50万人の兵力削減を約束し、また同年には軍事介入したアフガニスタンからの撤退を始めました。
さらには、1989(平成元)年12月に地中海のマルタ島で、アメリカのブッシュ大統領(共和党)との会談に臨んだ後に、米ソ両首脳による「冷戦の終結」が宣言され、東西冷戦が事実上の終止符を打ちました。これをマルタ会談といいます。
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青田です。 青田です。
アメリカのスターウォーズ計画もソ連崩壊の引き金になった気がします。
周りの側近が反対しても、それを押し通したロナルド・レーガンが優れていたと思います。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
レーガン元大統領が世界全体にもたらした影響は非常に大きいですが、トランプ大統領は果たして…。
ぴーち こんばんは!
ゴルバチョフ氏ですか・・
私はどうも氏の頭皮の黒い地図が
気になってどうしようも有りませんでした(^_^;)
今こうして伺っていると
氏の手腕は相当なものだったのですね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かにあの頭部は特徴がありましたね(笑)。
ゴルバチョフ氏の才能が素晴らしかったとしても、あの当時のソ連では、誰がやっても「手遅れ」の感がありますね。