また、ソ連の野望が世界に示されたことは、同時に米ソ間の緊張が再び高まったことを意味しており、デタントが崩壊するとともに、翌1980(昭和55)年7月に行われた、ソ連でのモスクワオリンピックに対して、アメリカや我が国を含む西側諸国の多くが、アフガニスタン侵攻への抗議を理由にボイコットしました。
なお、1980(昭和55)年夏に、ポーランドで自主独立の労働組合として「連帯」が結成され、政治の民主化を求めましたが、これに対してソ連が軍事介入をほのめかして圧力をかけると、翌1981(昭和56)年にポーランド軍部がクーデターを起こして、ワレサ(ヴァウェンサ)氏を中心とする「連帯」の幹部が逮捕されるなど、ソ連による脅威は東側諸国にまで容赦なく及びました。
ちなみに、ワレサ(ヴァウェンサ)氏は、その後1983(昭和58)年にノーベル平和賞を受賞したほか、民主化後の1990(平成2)年には、選挙によってポーランドの大統領に就任しています。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
詳しい事は存じませんが
日本は例えば、首相に就任する人物が
居て、その人物が過去に逮捕歴など
ある場合は、その時点で
首相の候補から降ろされたりすると思うのですが
外国はどんなに過去に汚点が生じても
その人物の器量次第では
国を治める長になってしまうところが
違う所だなと感じました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ワレサ(ヴァウェンサ)氏のことですね。
逮捕といっても、本当に悪いことをしたのではなく、外国からの不当な介入ですからね。
また意味が異なると思われます。