つまり、鎌倉末期から室町前期における「南北朝時代」と同じ状態になっていたのです。今回の場合は期間が短かったので目立たないのですが、もし平氏があっけなく滅びることなく、安徳天皇が長生きされておられれば、南北朝時代と同じように、混乱の時期が長続きしたかもしれません。
その場合は、京都と中国地方にそれぞれ天皇がおられるのですから、南北朝ならぬ「東西朝時代」と呼ばれたかもしれませんね。
いずれにせよ、そんな不安定な時代になりそうなのを一掃した源義経の存在は、まさに「歴史を変えた英雄」と呼ばれるにふさわしいといえるのではないでしょうか。
※下記の映像は1月23日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
日本の天皇制は長い歴史の中に有るようですので
その間には様々な事があった事でしょう・・・
然しながら、今現在まで天皇と言う存在が
継続されているのですから、どこかで
間違いはあったとしても、再び
あるべき姿に収まっているのですから
それはそれで良かったと思います。
たまたまその過ちを正す役目も担った
その時代の寵児として現れたのが
義経だったのでしょうね・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > たまたまその過ちを正す役目も担った
> その時代の寵児として現れたのが
> 義経だったのでしょうね・・
私もそう思います。我が国にとって義経は欠かせない存在だった。
だからこそ、役割を終えると、人生も終わってしまったのでしょうか…。