一方、官位というものは朝廷から授かるものですから、それを頼朝の承認もなく受け取るということは、頼朝の権威を丸潰(つぶ)れにしてしまいかねない「愚かな行為」なのです。それなのに、よりによって頼朝の実の弟である義経が、あっさりと朝廷から勝手に官位を受けてしまったのですから、頼朝にとってはたまったものではありません。
現実に、この後多くの頼朝の家臣が「弟の義経様が受け取るのであれば」といわんばかりに、朝廷から次々と任官を受けてしまいました。これらに対する頼朝の嘆きや怒りは凄まじいものであったと伝えられています。
しかし、義経自身は、三種の神器と同様に、自分が犯した大きなミスに全く気がついていませんでした。後に頼朝に送った手紙において「自分が朝廷の任官を受けることは、源氏一族にとって名誉なことではないですか」と書いているくらいです。
「政治家」の頼朝と「軍人」の義経とでは、考えがまるで異なるのはむしろ当然とも言えました。この二人の間を取り持つ優秀な人材がいなかったことが、お互いの意思の疎通(そつう)を欠かせて、ついには兄弟で対立するという結果を生んでしまったのです。
※下記の映像は1月23日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
頼朝と義経兄弟は
生まれた時から生活を共にして来た仲だったのでしょうか?
もしかしたら、以前の記事にその答えが書いてあったかもしれませんが
共に生きてきた間柄なら
わざわざ間に人を入れずとも
互いの思う所が直ぐに分かり合えた
はずなのにと思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 残念ながら、母親が違うこともあって、お互いの初対面は義経が20歳を過ぎてからでした。
この事実も、二人の確執を呼び込んだかもしれませんね。