この点に目をつけた頼朝は、三種の神器を自らの手で取り返し、後白河法皇に引き取らせることによって、自身がめざした「武士のための政治の実現」に大きく前進しようと考え、義経に対して「平氏滅亡よりも三種の神器の奪回を優先させて、どんなことがあっても取り戻してこい」と厳命(げんめい)した可能性が高いのです。
ところが、軍事的センスは高いものの、頼朝の政治的センスが全く理解できなかった義経が、平氏滅亡に気をとられているうちに、清盛の未亡人が、安徳天皇とともに三種の神器を抱えて海の中へ飛び込んでしまいました。
神器のうち、勾玉(まがたま)と鏡は取り戻せましたが、草薙(くさなぎ)の剣は海の底に沈んでしまって、ついに取り戻せなかったのです。これでは、神器を切り札として後白河法皇に武士の要求を認めさせるどころか、失態を問われることで、かえって頼朝の地位が危うくなる可能性すらありました。
※下記の映像は1月23日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
軍事的センスと政治的センスですか・・
なかなか両方を併せ持つという事は
大変な事でしょうし、その両方を
持ち合わせる人物は居ないという
事でしょうか・・・?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 両方を持ち合わせている人間はそうはいないですよね。
だとすれば、戦略と戦術のそれぞれのプロフェッショナルが、上手に連携できれば良いのですが…。