ところが、ここでも義経が自慢のスピードで奇襲をかけてきました。1185年2月、義経は嵐の中を少数精鋭の騎馬武者とともに荒海を馬ごと船出しました。通常なら難破してもおかしくないのですが、歴史の神様を味方につけた義経は、嵐を追い風に、極めて短時間で上陸を果たすことができました。
上陸した義経軍は、海岸伝いに浅瀬を馬で渡って屋島の背後に回り、安徳天皇がおられた御所を急襲しました。またしても義経に不意をつかれた平氏は、天皇を死守するためにも逃げる以外に選択肢がなく、屋島も放棄せざるを得なかったのです。なお、この戦闘は「屋島の戦い」と呼ばれています。
ちなみに、源氏の武者である那須与一(なすのよいち)が、平氏が所有する船に立てられた、日の丸が描かれた扇の要(かなめ)を見事に射抜(いぬ)いたという、平家物語の有名なエピソードはこの際のものです。このエピソードこそが、後の平氏の運命を物語っていたように思われてなりません。
※下記の映像は1月14日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
我が郷土の有名人
那須与一のお話ですね^^
今も那須地方では
与一君というゆるキャラとして
人気を博している所がまた
凄いですがww
ぴーちさんへ
黒田裕樹 那須与一にゆるキャラが存在するんですか!
さすがは人気者ですね。
流れ
青田です。 青田です。
不思議なもので、世の中の時代の流れというのが
あって、それは、逆らえない気がします。
川が川上から、川下に流れるようなものですね。
源頼朝が時代の流れに乗り、
平家が時代の大きな流れに崩れているような気がします。
これは、今の時代にも通じる気が。。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るような時代の流れは確かに存在しますね。
現代はどんな流れなのでしょうか…。
人間はバランスを取ろうとする
青田です。 青田です。
平清盛は、福原に遷都して、日宋貿易を奨めていました。平家は、がっぽり儲かっていました。
いわば、グローバル化ですね。
そういういう意味では、かなり、革新的でした。
しかし、グローバル化とは無縁の武士(特に東日本)は
おいてけぼりでした。それが武士の不満ですね。
これは、現代でも同じで
グローバル化で、国内で格差が広がって、世界中で、グローバル化に無縁な国民が怒っています。
人間社会というのは、必ず、バランスを取ろうとして、膨張と縮小を繰り返しますね。
青田さんへ その2
黒田裕樹 仰る一面は確かにありますね。