しかし、備中(びっちゅう、現在の岡山県西部)の水島(みずしま)では義仲相手に大勝するなど、本拠地である西国において平氏はまだまだ力を持っており、都での復権を虎視眈々(こしたんたん)と狙(ねら)っていました。
また、瀬戸内海がある西国では海戦が多く、東国の山育ちの人間が多い源氏に対し、強力な水軍を持っている平氏の優位は動きませんでした。このようなことから、平氏と源氏との戦いは当分の間は一進一退を繰り返すであろうと思われていました。
ところが、結果として平氏は都落ちからわずか2年足らずで滅亡しているのです。どうしてこのようなことになったのでしょうか。
そのカギを握る人物こそが、頼朝と同様に清盛が助命した源義経なのです。
※下記の映像は1月14日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
う~ん。
なまじ、情けを掛けたばかりに
自分で自分の首を締めることになるとは
思いもよらずに居たのでしょうね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なまじ、情けを掛けたばかりに
> 自分で自分の首を締めることになるとは
> 思いもよらずに居たのでしょうね(^_^;)
そのとおりだと思います。義経という「天才」を生かしてしまったばかりに…。