なぜなら、平氏が摂関家の真似をしただけでは、武士たちの立場に全く変化がなかったからです。人間というものは期待が大きければ大きいほど、裏切られた場合の怒りが大きくなるものですが、この頃の武士たちも例外ではなく、平氏への期待が大きかっただけに「同じ武士なのに、なぜ俺たちの思いが分からないのか」と余計に不満を持つようになりました。
一方、それまで政治を行っていた貴族たちも、身分が低いうえに血を流す「ケガレた」仕事しかしないと見下(みくだ)していた武士である平氏が、自分たちの真似をしたことに対して激しく反発していました。すなわち、平氏の行った政治は、武士と貴族の双方から問答無用で拒否されてしまったのです。
源頼朝や足利尊氏(あしかがたかうじ)、織田信長(おだのぶなが)や豊臣秀吉(とよとみひでよし)、あるいは徳川家康(とくがわいえやす)など、後の世で武士による政治が広く支持されたという現実を考えれば、初めてであるがゆえに、確固たるビジョンを持てない「開拓者」としての立場でしかなかった、平氏の悲劇でもありました。
※下記の映像は1月5日までの掲載分をまとめたものです。
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いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
これまで平氏が廃れてしまった本当の理由を
自分は知らずに来てしまったのだなと改めて思いました。
確かに期待が大きければ、その期待が予想以上に外れてしまった場合、人はその者に対して怒りを
覚えるものですね。
やはり人真似ではなく
オリジナリティというものが大切なのだと
感じます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
オリジナリティを発揮しようにも、その素養がなかった平氏でしたから、その後の運命は決まったも同然でした。