平安時代の頃には、それまでの公地公民の原則が完全に崩壊して、荘園制度が全盛期を迎えていましたが、この制度には大きな欠陥がありました。それは、荘園の所有が上流貴族や寺社のみに認められていたということです。
実際に田畑を耕(たがや)しているのは、他ならぬ武士たちなのですが、朝廷は彼らの所有を認めようとしませんでした。困った武士たちは、仕方なく摂関家などの有力者に土地の名義を移し、自らは「管理人」の立場となりましたが、これほど不安定な制度はありません。
「自ら開墾した土地は、自身の手で堂々と所有したい」。いつしか武士の多くが切実な願いを持つようになりましたが、武士の心の内が理解できない貴族たちによって政治が行われている以上は、その願いは叶えられそうもありませんでした。
そんな折に、平氏が政治の実権を握ることに成功したことで、自分たちと同じ武士である平氏であれば、必ずや「武士のための政治」を実現してくれるに違いない、と全国の武士たちが期待したのです。
※下記の映像は1月5日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
他人の痛みは何年経っても
理解出来ない ものですよね(^_^;)
それ故に相手の思いに寄り添おうと
思う努力が大切なのですが
それはなかなか出来ない事ですからね(^_^;)
ならば、一番手っ取り早いのは
自分たちと同じ立場、同じ苦労を知るものに
思いを委ねようと思うのも手段ですものね。
その後、どうなって行ったのか
知りたいですね~
ぴーちさんへ
黒田裕樹 まさしく仰るとおりです。
貴族ならともかく、同じ武士である平氏がどのようにしたかが気になりますね。