陰謀の背景に後白河法皇の存在があったことを知って激怒した清盛は、2年後の1179年に軍勢を率いて後白河法皇を幽閉して院政を停止し、近臣たちの官職をすべて解くなどのクーデターを起こしました。なお、清盛の孫にあたられる安徳天皇が即位されたのは、この翌年(1180年)のことです。
清盛の立場から見れば、自己の政権を危うくしたのは後白河法皇側であり、法皇のかわりに平氏と血のつながりのある天皇を立て、反対勢力を封じ込めて一門で官職を固めるのは当然の防衛手段といえました。しかし、法皇を幽閉するという強硬な手段が、周囲のさらなる反発を招いてしまったのです。
それに加えて、平氏による政権には自身が気づいていない「重大な欠陥」があり、その欠陥こそが後の平氏滅亡への直接的な引き金となってしまったのですが、それはいったい何だったのでしょうか。
カギを握るのは、この時代の「土地制度」です。
※下記の映像は1月5日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
なるほど
余り守りに入ってしまうのも
反発を買うものですね。
土地制度ですか・・
どのような問題が勃発したのでしょうか・・(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 何事もやり過ぎは良くありませんからね。
土地制度は、結構深刻な問題でした。
詳しくは次回の更新をご覧ください。