こうした豊富な経済力に支えられて、東北地方では現在の太平洋側を安倍氏(あべし)が、日本海側を清原氏(きよはらし)が地方豪族として支配し、その力は次第に強くなっていきました。
1051年、安倍氏の棟梁であった安倍頼時(あべのよりとき)が反乱を起こしました。朝廷では源頼信の子である源頼義(みなもとのよりよし)を陸奥守(むつのかみ)・鎮守府(ちんじゅふ)将軍に任じて、頼義の子である源義家(みなもとのよしいえ)とともに鎮圧を命じました。
しかし、平将門を滅ぼした藤原秀郷の子孫とされる藤原経清(ふじわらのつねきよ)が寝返ったことで、朝廷側は苦戦し、戦いは長期化しました。
※下記の映像は12月25日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
あら!
この頃にも安倍氏が活躍していたんですね^^
現代の首相は山口出身との事ですので
ご先祖という事は無いでしょうけれど(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 現代の首相は山口出身との事ですので
> ご先祖という事は無いでしょうけれど(^_^;)
さぁどうでしょう(笑)?
次回以降の更新をお待ちくださいm(_ _)m