清和源氏は、先述したように源経基が始祖とされており、経基の子である源満仲(みなもとのみつなか)は、摂津の多田(ただ、現在の兵庫県川西市多田)に土着していましたが、969年に起きた「安和(あんな)の変」で謀反(むほん)を密告して、源高明(みなもとのたかあきら)を失脚させた功績によって、摂関家に接近しました。
源満仲の子のうち、源頼光(みなもとのよりみつ)は各地の国司を歴任し、その際に蓄えた財産を利用して、藤原道長の側近として仕えることによって、武家の棟梁(とうりょう)としての地位を高めました。
その頼光の弟にあたるのが、平忠常の乱を鎮圧した源頼信でした。忠常の反乱によって平氏の勢力が衰えた一方で、源氏は頼信の活躍によって、東国における勢力を広げるきっかけをつくったのです。
※下記の映像は12月25日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
この頃は、何事も戦いによって
勝敗が決められていた時代だったのですね。
そんな中、源頼光は
お金に物を言わせて
地位を獲得したと言う事ですが
この時代のお金に対する
価値観は現代と同等だったのでしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 当時は貨幣の発行がなされなくなっていましたが、財産を金銀などの貴金属に変えて保管していたと思われます。