院政のもとでは、上皇からの命令を伝える院宣(いんぜん)などが、国政に対して大きな影響力を持つようになりました。また、白河上皇は直属の警備機関として「北面(ほくめん)の武士」を組織されました。
院政は、白河上皇が43年間続けられた後にも、鳥羽(とば)上皇が27年、さらに後白河(ごしらかわ)上皇が32年と、合計約100年間という長期にわたって続けられたのです。
院政時代を築いた各上皇は、仏教を厚く信仰され、それぞれ出家して法皇(ほうおう)となられました。各法皇は、白河法皇が天皇ご即位時の1076年に建てられた法勝寺(ほっしょうじ)などの造寺・造仏事業を行われるとともに、熊野三山(くまのさんざん)への熊野詣(くまのもうで)や、高野山への高野詣(こうやもうで)を繰り返されました。
※下記の映像は12月20日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
そうですよね。まだこの時代は
仏教に対しての信仰心は強く
亡くなった後何とか
成仏したいという気持ちが
大いにあった時代だと思います。
それにしても1世紀もの長い間
院政が続いたというのも、すごかったですね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりのお考えがおありだからこそ、ご出家あそばされたのでしょうね。
院政は約1世紀続きましたが、それ以前の摂関政治も長いですからね(^^;