ご即位の際に35歳と働き盛りであられた後三条天皇は、学問好きで個性の強い性格をお持ちであり、お自らが意欲的に政治の刷新を行われました。
後三条天皇は、摂関家の勢いに歯止めを掛けるには、彼らの財産でもある荘園に手を加えることが一番の近道とお考えになり、1069年に「延久(えんきゅう)の荘園整理令」を出されると、摂関家や寺社が所有する荘園も例外なく、1045年以降に新たにつくられた荘園を全面的に停止しました。
この他、書類上不備があったり、国政上の妨(さまた)げとみなされたりした荘園も、すべて停止処分とされて国庫に組み入れられるなど、延久の荘園整理令はかなりの成果を挙げました。
※下記の映像は12月20日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
確かに
成長する勢いを止めるには
その財源を断つ事だと思いますね!
直ぐ様そこを攻めるとは
さすがに学問好きで有らせられただけ
有りますね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
荘園整理令そのものは以前にも行われていましたが、天皇ご自身が摂関家を外戚とされないだけに、思い切った手法を行われることが可能だったのも、今回の大きな効果につながりました。