そんな中で、1964(昭和39)年に初の核実験を行い、核保有国となった中華人民共和国は、西側諸国に対する発言力を強めるとともに、1966(昭和41)年には毛沢東(もうたくとう)が復権をめざして文化大革命を起こし、劉少奇(りゅうしょうき)国家主席ら実権派を追放しました。約10年間続いた文化大革命によって、一説には数百万人が犠牲となるなど、国内は大混乱となりました。
一方、スターリン批判が行われた1956(昭和31)年には、ハンガリーで政治的自由化を求める改革運動が起こりましたが、東欧諸国の自由化の波が拡大することを恐れたソ連が軍事介入のうえ厳しく弾圧しました。これを「ハンガリー動乱」といいます。
また、1968(昭和43)年には、チェコスロバキアで政治や経済の自由化への改革が行われましたが(これは「プラハの春」と呼ばれています)、ソ連などのワルシャワ条約機構軍が軍事介入を行って強引に弾圧しました。これを「チェコ事件」といいます。
ハンガリー動乱からチェコ事件への一連の流れは、共産主義に基づく東欧の支配が、スターリン批判後も、軍事力による一方的かつ抑圧的なものであることを世界中に認識させるとともに、国際的な非難を浴びたソ連の影響力を次第に低下させる流れをもたらしました。
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いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
人間と言うのは
抑圧されれば、自由を求め
いざ自由を手に入れると
今度はある程度の決まりごとを
求めるようになる。
世の中と言うのは常に
その押し引きの中を
行ったり来たりしているものなんでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと思います。
人間の欲望が留まることを知らなければ戦争になる。
我が国の道徳精神は、本来であれば戦争を引き起こすとは思えないのですが…。