その後、1954(昭和29)年のジュネーブ国際会議でインドシナ休戦協定(ジュネーブ協定)が結ばれ、フランス軍がベトナムから撤退しましたが、北ベトナムは、1949(昭和24)年に誕生したベトナム共和国(南ベトナム)と北緯17度線を境界に分離されました。
朝鮮戦争やインドシナ戦争がそうであったように、ヨーロッパから遠く離れたアジアでは、米ソによる冷戦が、実際の軍事力行使を伴う「熱戦」となりました。
いわば「米ソの代理戦争」と化したアジアでは、その後も「ベトナム戦争」という名の果てしない「熱戦」が繰り広げられるようになるのです。
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ぴーち こんばんは!
代理戦争とは
また随分な話ですね・・・
亜細亜は欧米の犠牲にならならなくては
いけないなどという
習わしでもあったのでしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 根底にあるのは「人種差別」ですね。
白色人種以外を人間と思わず、将棋の駒よりも低い扱いとしか見なさない思い上がりが透けて見えます。
こうした一方的な考えを打ち砕いたのが我が国なんですが…。