これは、昭和42(1967)年に、当時の佐藤栄作(さとうえいさく)首相が、国会答弁において共産国や国連安保理決議で武器輸出が禁止されている国、あるいは紛争当事国やその恐れのある国に対する武器輸出を禁止すると表明したのが始まりでした。
武器輸出三原則は、昭和51(1976)年に当時の三木武夫(みきたけお)首相によって、三原則対象以外の地域についても原則として武器の輸出を禁止するなど、さらに強化されました。
しかし、その後、最新鋭の武器の国際共同開発が主流となる中で、武器の輸出が原則不可能であった我が国は、そうした流れから取り残されつつありました。
つまり、平和主義の立場から守られてきた武器輸出三原則によって、武器の開発において、我が国が他国よりも遅れをとることで抑止力が低下し、かえって安全保障に重大な問題が生じるようになってしまったのです。
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ぴーち こんばんは!
確かに勉強した記憶が有ります(^_^;)
けれど、
この法律は日本独自の法な訳ですよね?
こういう定めは、世界全体(或いは主要な国)
が国際法のような形で
遵守していく方向に持って行かない限り
意味をなさない法律となってしまう気がします。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
我が国だけが厳格に守って、結果として安全保障に支障が生じては本末転倒です。
世界の潮流に合わせるためにも、最近になって大幅に改定されました。詳しくは次回の更新をご覧ください。