また765年には、それまでの墾田永年私財法によって過熱していた私有地の拡大を防ぐために、寺社を除く墾田の私有を禁止しました。この禁止令は、率先して墾田開発を推し進めていた藤原氏に対して、特に大きな打撃を与えました。
ところで、称徳天皇は、母の一族である藤原氏による政治の専横や、それを黙認した淳仁天皇などの皇族に対して、冷ややかな目で見ておられましたが、かといって、ご自身の子孫に天皇の地位を譲ることもできませんでした。なぜなら、称徳天皇は生涯独身でいらっしゃったからです。
実は、女性天皇には「結婚してはならない」という不文律(ふぶんりつ、文章として成り立っていないが、暗黙のうちに守られている約束事のこと)がありました。
21世紀の現代ならばともかく、当時の女性は男性によって「支配される」ことが一般的でした。ということは、仮に女性天皇に夫君(ふくん)がおられる場合には、「天皇」を支配する「天皇」が存在することになり、律令政治に支障が出ると考えられていたのです。
※下記の映像は8月30日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
女性が天皇になるという
条件にはなかなか大変なものがあるのですね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
明治以降の皇室典範で、天皇は男性のみとされた理由もここにあるかと思われます。