朝廷は行基に対して、当初は厳しい姿勢で臨みましたが後に和解し、大仏造立の際には僧侶の最高職である大僧正(だいそうじょう)に任命しました。行基は大仏造立に積極的に関わったとされていますが、惜しくも大仏完成前の749年に死去しています。
ところで、橘諸兄が政権を担当していた頃には、もう一つの大きな出来事がありました。大仏造立の詔が出された743年に「墾田永年私財法」が発布されたのです。先述のとおり、三世一身法が施行されて約20年が経過し、開墾した世代が交替する頃に、身分に応じた一定の面積の開墾した田地(でんち)を無期限に所有できることとなりました。
これによって、田地の数はようやく増加しましたが、私有地の拡大も同時に進み、公地公民制の根本を揺るがすという結果を招いてしまいました。なお、有力な貴族や東大寺などの大寺院は、地方の豪族らの協力のもとに、広大な山林や原野の開墾を進め、私有地を拡大していきました。これを初期荘園(しょきしょうえん)といいます。
※下記の映像は8月19日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
私にはよく分かりませんが
私有地化することのデメリットの一つに
現代では山林を保持することが出来なくなった
個々人が外国人に(特に中国)荒れ果てた山林の土地を売却してしまうケースが見られるように
国が管理運営していれば、見す見す外国人の手に
委ねなくても済むのにと思うんですよね
現代とこの当時の問題はまた違うのでしょうけれど。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、当時とは全く逆の現象が起きていることになりますね。
ぴーちさんの仰るとおりだと私も思います。