ところが、翌728年に、皇子は1歳足らずで亡くなってしまったのです。聖武天皇や光明子、さらには四兄弟にとっても大きなショックでしたが、四兄弟は不幸を逆手(さかて)にとっての大きな陰謀を計画しました。
悲しみに打ちひしがれた聖武天皇に対して「皇子が亡くなられたのは、長屋王がそうなるように呪ったからだ」と事実無根の噂(うわさ)を広めたのです。我が子を亡くして精神的に弱られていた聖武天皇は、この讒言(ざんげん、他人をおとしいれるために事実でないことを告げ口すること)を信用されてしまいました。
729年2月、天皇に対する反逆の罪で邸宅を軍勢に取り囲まれた長屋王は、自らの無実を訴えましたが、結局は一族とともに自殺しました。この事件を「長屋王の変」といいます。
※下記の映像は8月15日までの掲載分をまとめたものです。
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いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
何時の世でも悪巧みを考える人は
まるでオセロの様に周りの人間を
自分の考えと同じ色に
染めて、包囲していくものですね・・
けれど、惜しいことに
長屋王には最後まで戦って貰いたかったですね。
諦めが早過ぎます・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > けれど、惜しいことに
> 長屋王には最後まで戦って貰いたかったですね。
> 諦めが早過ぎます・・
確かにそうでしたね。ところが、そう簡単に終わらないのが、歴史の大きな闇でもあります。詳しくは次回の更新をご覧ください。