長屋王が政治を担当した当時は、人口の増加で口分田(くぶんでん)が不足し、公地公民制の基礎が揺(ゆ)らいでいました。このため、長屋王は722年に「百万町歩(ひゃくまんちょうぶ)の開墾(かいこん)計画」を立てましたが、文字どおりの「計画倒れ」に終わってしまいました。
なぜなら、計画を立てたところで、そのメリットがなければ行動に移そうとしないのが人間というものだからです。このため、長屋王は翌723年に「三世一身法(さんぜいっしんほう)」を出しました。
これは、新たに灌漑(かんがい)施設を設けて未開地を開墾した場合は三世(さんぜ)にわたり、旧来の灌漑用地を再開発した場合は本人一代を限りに、田地(でんち)の保有を認めるというものでしたが、それでも開墾はなかなか進みませんでした。
確かに自分の代や三世の間は所有が認められますが、いずれは国に返還しなければならないことを考えると、どうしても二の足を踏んでしまうからです。自分が汗水たらして開墾した土地は、自分や子孫のものとしたいのが人情でもあり、この問題は、新たに開墾した世代が次へと交替し始める約20年後に、再び大きくクローズアップされることになります。
※下記の映像は8月15日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち おはようございます!
確かにそうかもしれませんね。
税金だとて、自分が汗水垂らして稼いだ収入の一分をどうして国に納めなければならないんだ?とボヤいている声を聞いた事が有りますが(^_^;)
直接声に出すか出さないかで
多かれ少なかれ心の中ではそう思う人が
大半なのでは無いでしょうか
それでもそれが義務化されているからこそ
渋々ながらも皆納めなければならないと思って
国民として当たり前だと言い聞かせて
納めてはいるでしょうけれど
(国の為に役立ててください!誰かの為に
使ってください!と心から願う人も
勿論いらっしゃるでしょうけれど)
それでも、今回のお話の様に
将来に向けて自分の利益が見えないものには
どうしても不満を感じてしまうのは
無理もない話ですよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと思います。
奈良時代の税法も、こういった「人間臭さ」で考えれば、おのずと流れが見えてきますね。