659年に生まれた不比等は、幼い頃に父である鎌足を亡くしましたが、成年後は着実に出世を重ね、701年に大宝律令(たいほうりつりょう)、718年には養老律令(ようろうりつりょう)の編纂(へんさん)事業に携(たずさ)わるなど、朝廷からの厚い信任を得ました。
当時の朝廷では、707年に文武(もんむ)天皇が崩御されると、その後は文武天皇の母親で、天智(てんじ)天皇の娘でもある元明(げんめい)天皇と、元明天皇の娘で文武天皇の妹でもあり、皇室の血を引く元正(げんしょう)天皇の二人の女性天皇が相次(あいつ)いで即位されました。
女性天皇がしばらく続いたことは、結果として不比等の存在を朝廷内で大きくしました。さらに不比等は、娘の藤原宮子(ふじわらのみやこ)を文武天皇に嫁(とつ)がせると、二人の間に産まれた首皇子(おびとのみこ)に、自分の娘で宮子の異母妹(いぼまい、母親のちがう妹のこと)にあたる藤原光明子(ふじわらのこうみょうし)をさらに嫁がせて、皇室と密接な関係を築きました。
こうして不比等は、自分の血を引く娘を皇室に嫁がせることで自らの地位を固めるという、かつての蘇我氏(そがし)と同じ方法で政治の実権を握ることに成功したのです。
※下記の映像は8月15日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
先日、天皇が「お気持ち」を著され
それに伴い、皇太子不在問題、先々
女性天皇に関する問題が挙げられていますよね。
素朴な疑問で恐縮ですが、
この頃の時代には女性天皇が存在したという事ですが、
現代になって女性が天皇に即位することに
どのような問題が起こるのでしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 我が国における女性天皇は、いずれも神武天皇の直系にあたる「男系の女性天皇」です。これに対し、現状では「女系天皇」とわざと混同させ、皇統をないがしろにする勢力も存在します。
また、女性天皇は、本来は男性の天皇が即位されるまでの「中継ぎ」というお立場が多く、ご自身にも様々な不文律があります。そのあたりについては、いずれ今回の講座で詳しく紹介します。