飢饉で生産量が減ったコメを可能な限り全国に分散して、凶作の地域での餓死者を一人でも減らそうとした意次の苦心の策だったのですが、そんな意次をあざ笑うかのように、定信は大坂の米市場に人を派遣してコメを買い占め、自分の領地まで運びました。
この結果、白河藩では確かに一人の餓死者も出しませんでしたが、無理に買い占めに走った分、米価が異常につり上がってしまい、他の藩がコメを買えなかったこともあって、餓死者の数がさらに増えてしまいました。白河藩における「餓死者を一人も出さなかった」という成果は、他の藩やそこで暮らす多くの領民の犠牲の上に成り立っていたのです。
国内全体のことを一切考えず、自分が治める白河藩さえ良ければ「後はどうなってもかまわない」。このような人物のどこが「名君」だというのでしょうか。しかも、定信は意次を失脚させた後で、常識では考えられない酷(むご)い仕打ちを行っているのです。
※下記の映像は6月26日までの掲載分をまとめたものです。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
そうですね。
情報が他に漏れない事をいい事に
自分の名声だけを
吹聴した手口は、許しておけない行為ですよね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 全くもってそのとおりです。
しかも、そのあともやり過ぎな行為が…。