また寛政3(1791)年には、工藤平助と親交があった林子平(はやししへい)が、我が国における海岸防備の必要性を説いた「海国兵談(かいこくへいだん)」を著しましたが、定信は「世間を騒がす世迷言(よまいごと、わけの分からない言葉のこと)を言うな」とばかりに直ちに発禁処分にし、ご丁寧(ていねい)に版木(はんぎ)まで燃やしてしまいました。
海国兵談の出版がもし田沼時代であれば、意次はまず間違いなく子平の考えを支持したでしょう。だとすれば、我が国は現実より半世紀以上も前に開国し、幕末に黒船に迫られて、相手の言われるままに欠陥だらけの不平等条約を結ばずに済んだかもしれません。それを思えば、海国兵談の発禁処分は、定信による「痛恨の失政」でした。
また、定信は海国兵談の他にも、政治を風刺(ふうし)したり、批判したりする書物の発行を禁じるとともに、黄表紙(きびょうし)や洒落本(しゃれぼん)なども風俗を乱すという理由で発禁処分にしました。これらの命令は出版統制令と呼ばれています。
※下記の映像は6月21日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
そうですよね。
恨みや妬みの気持ちだけに集中していると
他の大事な事を全て見失ってしまうことは
よくある話ですよね。
憎悪の炎を燃やしているうちに、自分の身も
燃やしてしまう羽目になるという事でしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
しかも、そのことが当人のみならず、我が国全体に大きな影響を及ぼしますので…。
オバrev トップの決断は、国の将来を左右するんですねぇ。
それだけ、トップに立つ人は、人の意見を聞く耳を持つ必要がある気がします。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
他人の意見を聞かない独裁者に国政をまかせると、ろくなことがないのは歴史が証明していますね。