しかも、噴き上げられた灰が成層圏(せいそうけん、対流圏の上にある高さ約10~50キロの大気層のこと)にまで達し、その後も長く留まって日光の照射の妨げになったことで、不作が助長されて大飢饉(だいききん)になってしまったのです。
この飢饉は、当時の年号から天明の大飢饉と呼ばれ、噴火以前の天明2(1782)年から天明8(1788)年まで長く続きました。
なお、浅間山と同じ年の1783(天明3)年には、アイスランドのラキ火山が同じように噴火しており、天明の大飢饉の理由の一つに数えられるとともに、北半球全体が冷害になったことで、1789(寛政元)年のフランス革命の遠因にまでなったと考えられています。
※下記の映像は6月14日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
悪い事もまた一つが起こると
次から次へと連鎖的に起こるものですね。
こういう時は、大体時の政治家が槍玉にあがる事が
多そうですが、意次はどうだったのでしょうか・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こういう時は、大体時の政治家が槍玉にあがる事が
> 多そうですが、意次はどうだったのでしょうか・・
残念ながら、仰るとおりの流れになります。
不幸の連鎖のおまけつきで…。