干拓事業の主な目的は新たな農地の開発でしたが、付近を流れる利根川(とねがわ)からの水路を開削(かいさく)して、江戸への物資輸送の近道を造ることも大きな目標でした。この事業が完成すれば、江戸と北方とを結ぶ船の航路の大幅な短縮が見込まれ、商品流通の活性化が期待されていましたが、無念にも天明(てんめい)6(1786)年に起きた大洪水によって、干拓は失敗に終わってしまいました。
一方、意次は長崎における貿易にも力をいれました。それまで縮小気味だった貿易の規模を拡大し、金銀を積極的に輸入するという、いわゆる外貨の獲得を目指したのです。しかし、輸入の量を増やそうと思えば、それに見合うだけの輸出量を確保しなければいけません。
そこで意次は、輸出品として国内で産出量が増えていた銅や、海産物としてイリコ(ナマコの腸を取り出して煮た後に乾燥させたもの)やホシアワビ(アワビの身を取り出して煮た後に乾燥させたもの)、フカノヒレ(サメのヒレを乾燥させたもの)といった俵物(たわらもの)を使用しました。外貨の獲得のために特産物の増産をはかることも、重商主義による一つの成果といえます。
※下記の映像は6月14日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
普通の人間なら、大洪水で終わってしまえば
落胆して立ち上がれそうにも有りませんが、
そこが意次の強みなのでしょうね。
そこがダメなら、また違う作を練りなおして
挑むその強靭な意欲はすごいと思います!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、意次の強みは、たとえ失敗しても、そこから這い上がる努力にあると思います。現代人も見習うべきですね。