このようないわゆる「ドンブリ勘定」を続けていては、いつまで経っても経費節減ができません。そこで、意次の時代になって初めて予算制度が成立したのですが、費用の割合はどうだったのでしょうか。
意次が自己の保身を図ろうとすれば、当然将軍家や大奥の費用を多めに計上すると思いますよね。ところが実際は全く逆であって、年を経るごとに減らされていきました。その一方で、町奉行などの民政に関する費用は据(す)え置かれていますから、結果としてかなりの経費削減に成功していることになります。
本当に幕府のためになる政治を目指すのであれば、将軍家や大奥のご機嫌を取ることなく、思い切った手段を実行する。意次の「政治家」としての優秀さがうかがえる政策の一つですね。
※下記の映像は6月14日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
確かに金銭感覚って生活していく中では
一番必要な要素ですよね。
そう言えば、離婚した夫婦の男性側の理由で
第一番目は、妻の金使いの荒さだと
有りましたが、何時の世でも
お金の有り難さは持ちあわせていないと
いけませんね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、そういう統計もあるのですか…。
予算という考えは重要ですね。