実は、当時の江戸幕府で賄賂をもらうことは「むしろ当然」という感覚がありました。なぜなら、賄賂を受け取れば、それだけ賄賂を贈ってくる側の諸大名や商人の勢力を削(そ)ぐことができるからです。従って、幕府の権力を保つためという口実のもとに、意次以外の幕閣も積極的に賄賂をもらっていたのが現実の姿でした。
加えて、そもそも有力な政治家に対して金品を贈ることは、現代の法律で認められた「政治献金」も含めて、昔も今もある意味当然の感覚ですし、当時の幕閣の中で、意次に一番実力があると誰しもが思ったからこそ、彼に賄賂を贈っていたとも考えられます。ちなみに、清廉潔白(せいれんけっぱく、心が清くて私欲がなく、後ろ暗いところのないこと)で知られる松平定信も、幕閣入りを目指して意次にしきりに賄賂を贈っていたのは有名な話です。
さて、意次は、先述したように若い頃から徳川家重の小姓として仕えていましたが、8代将軍の徳川吉宗による重農主義の政治の結果によって、幕府の直轄地である天領(てんりょう)で一揆(いっき)が多発したのを間近で見ていました。
重農主義ではもはや幕府政治が機能しないということを悟った意次は、やがて政治の実権を握ると、現実的な重商主義に政治の姿勢を切り替えるとともに、開明的な政策を次々と実行していったのです。
※下記の映像は6月5日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
私もそう思います。
今でこそ、法的に賄賂は違反とされていますが、
私は政治家については余り存じませんが、
それでも政治家として独立独歩するにはそれ相当の
お金が必要だと思います。
もともと、親の代から政治に携わっている人物なら
何処からもお金を調達しなくても当然のごとく知名度もあり、また資金を賄う事も出来るでしょうけれど、無名から
立ち上がるとなると資金援助は欠かせないものだと思います。そう言う意味では
現代の政治家さんたち、誰でも叩けば埃が出て当然なのでは
無いかと思いますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 政治かの判断は、その力、すなわち政治力の有無が決め手だと思います。
いかにクリーンであっても、無能では何の役にも立ちませんからね。