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「◯◯は△△だからつきあわない方が良い」。親切心から仰られる方がおられる。私にとって有難いお言葉だが、いやしくも教師を自称する人間が、そんな自己判断で生徒の思いを断ち切ることは許されないのではないか。ある曲の歌詞ではないが、教師は生徒を信じ、傷ついてナンボやと思う。
お蔭様で、私のような人間に対しても、様々な助言をくださる方々がおられます。ただ、その助言が本当であるとは限らない以上、たとえ自身が傷つくことがあっても、真正面から生徒の悩みや苦しみに立ち向かう勇気も必要ではないでしょうか。
2016年4月11日のTweet
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今日の離任式は、間違いなく自身の記憶に残ると思う。良い学校と良い生徒、そして良い先生方に恵まれた一年だった。挑戦し続けるからこそ壁にぶち当たり、乗り越えるための力がわいてくる。あれだけ生徒に強気で言ったんだから、私も頑張らねば。
Tweet本文のとおり、思い出に残る離任式になりました。目の前に立ちはだかる大きな壁を乗り越えるためにも、様々な思いを胸に秘めて、今年度もしっかりと歩んでいきます。
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ぴーち こんばんは!
冒頭の件ですが、私も実はその昔
そう思って人を恨んだりした覚えが有りましたm(_ _)m
今となってはお恥ずかしい話ですが、
自分にとっては嫌な相手であっても、他人にとって
は無くてはならない必要な人間だったりするものですよね。しかし、その当時はその原理が理解出来ずに
自分が嫌いな人は、すべての人から嫌われれば良いのだ!と思って、その人の嫌な面をわざわざ
吹聴して、同意を求めてしまった悪い思いが有りましたが、
今ではおかげ様で、
そんな事では無いんだ。
自分はその人から嫌われるのは、自分の宿業であり、過去世から引きずって来た業で、自分がそう言う
人間であったから、逆に今、報いを受けているのだと
ようやく気が付きました。
罵られても、傷つけられても良いんだ。
それで耐えてその言葉を受け入れる事が出来たら、
そこでご破算になるのだと思えるようになったときに
いつのまにやら、相手への嫌な感情が消えました。
黒田さんのお考えは正しいと思います。
これからもどうぞ沢山傷ついてください。そして
耐えてください。
宿命転換の意味でも^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るお気持ちは良く分かります。
人間を本当に成長させるものは何か、という意味でもありますね。
オバrev 「教師は生徒を信じ、傷ついてナンボや!」
素晴らしい名言です。
親なら、子供を信じ、それでも傷ついてナンボ。
経営者なら、スタッフを信じ、傷ついいてナンボ。
生徒や子供やスタッフとの関係で、傷つくことはよくあるんですが、それでナンボだし、さらにそれでも信じてナンボなのかもしれないですね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 過分のお言葉有難うございます。
生徒が一番ほしがっているのが信頼関係だと私は思います。
それを裏切りたくはない以上、逆に裏切られることもあるでしょうね。
それもまた人生です。
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さて、明日は前任校の始業式か。「黒田先生が学校に残っていますように」と言ってくれた生徒が、私が来ていないことに何を思うのか…。しかし、人生なんて自分の思いどおりにいかないのが当たり前。目の前の出来事をしっかりと受け止めて、先生も生徒も成長していかねばならない。離任式の際に言おう。
前任校から異動することは事前に決まっているものの、正式な辞令が年度末に発表される以上、それを事前に口にすることはできません。規則をしっかりと守ることで、離任式での言葉に訴えるものがあるのではないかと思っております。
2016年4月10日のTweet
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「◯◯にあわす顔がない」。気持ちは分からなくもないけど、現状からはい上がる意識があるんやったら、むしろ堂々とさらしたらエエんとちゃうかなぁ。自身の経験を笑って語ることができる人間こそが、教師としてふさわしいと思う。挫折を知らない人間が、どうやって信頼を勝ち取れるんやろうか。
失敗は誰にでもありますし、挫折を味わってこそ人間は成長します。綺麗事ばかりを述べて心に響かない人間になるくらいなら、私は自分の失敗をさらけ出す教師でありたいですね。
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ぴーち こんばんは!
そうですよね^^
私なども失敗だらけの人生でした(爆)
しかも、失敗談ばかり垂れ流してしまって
本当に申し訳ないですm(_ _)m
然しながら、仰るとおり
その失敗が今の自分を形成して
くれているのだなと思うと
それは貴重な体験であったなと
思いますね~^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 然しながら、仰るとおり
> その失敗が今の自分を形成して
> くれているのだなと思うと
> それは貴重な体験であったなと
> 思いますね~^^
私も同じ思いです。
悔しさからの出発も重要ですからね。
うろつき 高校生なんて3年経てば、大学生だったり社会人だったりします~(^-^ゞ
黒田先生から受けた影響は永遠です~(^-^ゞ
このサイトを見つけてから、よく言われます。
最近、歴史とか政治とかにハマったの?って(笑)
うろつきさんへ
黒田裕樹 時の経つのは早いですね。
それだけの影響力があるならば、今後も頑張って更新を続けていかなければなりません。
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今日も充実した素晴らしい一日だったが、年上の人間に平気で悪態をつく人間もいれば、年上に対して堂々と意見する人間もいる。だが、どちらも私にとって貴重な経験に違いはない。人との縁を大事にしない人間に未来はないのだから、一期一会のつながりは尊重するのが当然ではないのか。
2016年4月3日のTweet
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教師といえども万能であるわけがない。でも、だからといって初めから生徒の可能性を摘みとってどないすんねん。生徒の可能性を見極めずして、彼や彼女の人生を潰したくせに、それでいて自分は教師でございと喧伝するような輩を、私は心底から軽蔑する。他人の振り見て我が振り直せ。
世の中にはいろいろな人々がいらっしゃいますが、心から尊敬できる人がおられる一方で、大変失礼ではありますが、反面教師としてしか見ることができない人もおり、それは同じ教師の世界においても例外ではないのです。だからこそ、自分に厳しくなければなりません。
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ぴーち こんばんは!
確かに
聖職と言われる職業に就いた人達の中にも
いろいろなタイプの方が居ますし、
その中でも善に生きようとするものも
居るけれど、悪に心を奪われる人間も
居ますものね。
これは何処の世界でも必ずいるものですよね。
例えば、医者になりたいと思った人間が
困って苦しんでいる人々を少しでも救いたいと
純粋な思いで医者になった人間も居れば、
単なる権威と金儲けを達成させる為だけに
医者になる人間だっているはずですしね。
医者や教師に求める役目は、やはり
その人に出会って自分の状態が少しでも
良くなる事が出来れば良いなと
思うのが人情ですので、その期待をなるべく
裏切らない存在になれるように
努力している人は、やはり尊敬に値しまいますよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと思います。
私ごときが他人様の役に立てる教師になれるかは疑問ですが、せめて後ろ指をさされない身でありたいものです。
今回は3人の人物を一気に紹介しましたが、時間配分もバランスよく行えたのではないかと自負しております。何よりも、後半の人物紹介におけるパフォーマンスは、自分が一番楽しんでいました(笑)。

次回(5月28日)は大阪講演を行います。東京同様、多数の皆様にお越しいただけることを心より願っております。
第54回黒田裕樹の歴史講座(大阪講演)
「江戸後期の政治史 ~意次と定信、そして『金さん』」
主催:一般社団法人正しい歴史を伝える会
後援:my日本・授業づくりJAPAN
日時:平成28年5月28日(土) 午後2時より
場所:大阪市立総合生涯学習センター 第1研修室
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
資料代:金1,000円
参加をご希望の方は、ブログ右下の「メールフォーム」を活用のうえ事前にご連絡くだされば幸いです。当日の飛び入り参加も歓迎いたします。
今回の講演の際に「徳川吉宗と徳川宗春(第52回)」「昭和天皇(第53回)」のレジュメを、資料代として金1,000円(第52回・第53回でそれぞれ別料金となります)でお分けします。以前の講演にご参加いただけなかった皆様を中心にぜひお求めください。
また、講座終了後に近辺の居酒屋で懇親会(会費金3,500円~4,000円程度)を行いますので、よろしければこちらにもご参加くださるようお願いします。
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そして今、またしても自身に大きな転機が訪れようとしてるな。最初のうちはあれこれ考えたけど、もう大丈夫。自分は単なる47のオッチャンやないんやし(笑)、7年間蓄積してしたプライスレスな財産もある。それにしても、ここまでよく続けてきたなぁ。講座は少なくとも100回を目指すけど(爆)。
2016年3月27日のTweet
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人生の転機を常に受けいれられる人間でありたい。逆境こそが人間を成長させるんとちゃうか?
2016年3月29日のTweet
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自信過剰はアカンけど、自分がこれまでに積み重ねた実績は素直に評価して良いと思う。不安や弱気、あるいは卑屈になっていては、成功することも成功できない。
「弱気は最大の敵」。自分自身を信じ、必ずや成功する確信をもって新年度を迎えたい。
黒田裕樹の「百万人の歴史講座」の開設を決意したのはこの頃でした。今後とも講演回数の更新はもちろん、より質のある内容を目指します。人生をより充実させるためにも、逆境が欠かせないのかもしれません。「弱気は最大の敵」は、元広島東洋カープの名ストッパーだった津田恒実投手の言葉です。
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ぴーち こんばんは!
そうですね。
これまで御自分が頑張って来られた結果が
一つの大きな目標の到達点となったのなら
それはそれで大いに御自分を評価されても
良いと思いますし、勿論、そこには
それまで関わられた多くの人達の支えや
応援、時には酷評を言う人も居たでしょうけれど
そう言うすべての人達への感謝の意が
含まれての成功だと思いますね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私もそう思います。
だからこそ、様々な流れの上での成長なのでしょう。
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昨日、教え子から「先生はポジティブですね」と言われた。その通りやけど、良くないことが起きれば、さすがに一時的にはネガティブになるで。ただ、いつまでもクヨクヨしたところで何にも変わらへんから、前向きに生きようと思いなおすだけや…って、それをポジティブと言うんやろうけど(笑)。
私は教師として、基本的に生徒に対して泣き顔を見せないようにしています。それが人の上に立つ人間として当然だとも言えますが、それでもさすがに落ち込むこともあります。どんな時こそ、早い段階での「気持ちの切り替え」が重要なんですよね。
2016年3月25日のTweet
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振り返れば、自分の人生の転機は決まって「良くないことが起きた」後に訪れてるなぁ。教師になろうと思ったのは、それまでの勤務先を退職したのがきっかけやし、ブログや講演を始めたのも、教師失格の烙印を押されたことに対する反発からやったし。悔しさからの出発は、人間を成長させるんやろうね。
「ピンチはチャンス」という言葉ほど、物事を的確にとらえている言葉はないと実感できます。後日にも紹介しますが、乗り越える壁が大きければ大きいほど、達成後の喜びは深いですからね。
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ぴーち こんばんは!
そうですよね。
前向き、ポジティブであるからこそ
なやみ、苦しむ訳ですものね。
生徒さんはちゃんと見ていますね!
有り難い事ですよね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私も有難いと常々思っております。
生徒とのコミュニケーションは重要ですからね。
今年の4月に非常勤講師となったことで、自由な発言ができる機会が広がったこともあり、この前後からTweetを活発に行うようになりました。そのなかには、教師としてのみならず、これまでの様々な経験を踏まえた内容のものもあります。
ここからは、最近のTweetの中で、自分自身で印象に残ったものをいくつか紹介していきたいと思います。
2016年3月22日のTweet
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たまには哲学的(?)なTweetを。「人はパンのみにて生くる者に非ず」。
「人は物質的な満足だけを目的として生きるものではなく、精神的なよりどころが必要である」という意味ですが、この1年間の高校教師生活、私は多くの生徒とともに「精神的なよりどころ」を見出せたと思う。本当に有難う。
この当時は前任校を去ることが決まっていましたが、規定のために、それを口にすることはできません。そこで、1年間の感謝の思いを伝える形式で、教え子たちに別れを告げました。もっとも、こうした考えは、たとえ同じ高校に残れたとしても全く変わりません。一期一会で全力を尽くすのが教師の本分ですから。
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ぴーち こんばんは!
確かに担任となるとその他に行うべき
仕事が山積していたり、自分が一番ウェイトを置く
教科が通り一遍の解釈だけになったりして
ジレンマがそこに生じますしね。
非常勤講師という立場ですと、自由で踏み込んだ
解釈で教える事がある程度出来るでしょうから、
黒田さんにとっては一番良いスタンスなのでしょうね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに仰るとおりですが、メリットもあればデメリットもありますからね…。
やはり人生はそううまくは行きません(笑)。
わずか半世紀近く前に世界の多くの国を相手に激しく戦った国の元首であるにもかかわらず、恩讐を越えて、昭和天皇に弔意を示したのです。また、皇居から新宿御苑へ続く6.5kmの雨の沿道において、昭和天皇をお見送りした国民の数は、実に60万人にも及びました。
昭和という激動の時代を長く生き抜き、国民の象徴として我が国を支えてこられた昭和天皇。自らが果たすことがかなわなかった沖縄へのご行幸は、先述のとおり、今上陛下によって平成5(1993)年4月に実現されました。
そして崩御から18年後の平成19(2007)年、昭和天皇のお誕生日である4月29日が、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」との目的で、新たに「昭和の日」として蘇(よみがえ)りました。
昭和が終わって早や四半世紀が過ぎましたが、国民とともに歩まれた昭和天皇の大御心(おおみこころ)は、今もなお、そして永久に日本国民の心の中に生き続けていくことでしょう。
※下記の映像は5月25日までの掲載分をまとめたものです。
(※第53回歴史講座の内容はこれで終了です)
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ぴーち こんばんは!
60万人ですか。
天皇陛下の崩御は日本国民なら
誰しも心に留める出来事ですものね。
激動の昭和を御自分の目で足で
手でしっかりと受け止めて来られた
方ですので、記念日は
残されて当然ですよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。昭和の日の制定は遅きに失した感がありますね。
その余りもの自粛ぶりに、一部の国民やマスコミからは不満の声も上がりましたが、国民のことのみをずっとお考えになり、自らを顧みられることのなかった陛下がご重体となっておられるというのに、何も考えずに馬鹿騒ぎをすることが果たして許されるでしょうか。その証拠に、陛下のお見舞いのため皇居へ記帳に訪れた国民の数は、ご不例から3ヵ月間で延べ800万人を越えているのです。
昭和天皇のご容態はその後も芳(かんば)しくない日々が続きましたが、そんな中でも陛下は国民のことを第一にお考えになっておられました。この年の我が国では秋の長雨が続いていましたが、そんなある日、雨音を耳にされたご病床の昭和天皇が「雨が続いているが、稲の方はどうか」とコメの作柄(さくがら)を案じられたというエピソードが残っています。
ご不例になられてからも、陛下は驚異的な生命力で病魔と闘っておられましたが、年が明けた昭和64(1989)年1月7日午前6時33分、太陽が静かに沈んでいくように、昭和天皇は崩御されました。御年87歳でした。
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ぴーち こんばんは!
以前にも書かせて頂きましたが、
丁度この時に私は那須御用邸直ぐ間近の
ペンションに友達と共に宿泊していたのですが、
御用邸に続く道にはパトカーなどが配備され
緊迫した空気に包まれていたのを覚えています。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そうだったんですね。
ぴーちさんも歴史の証人となられましたね。
終戦記念日の8月15日に日本武道館で行なわれた全国戦没者追悼式に際して、昭和天皇はご療養先の那須御用邸からヘリコプターで駆けつけられましたが、そのやつれたお姿に対して、多くの国民が息をのみました。
この日の陛下の御製です。
「やすらけき 世を祈りしも いまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど」
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ぴーち こんばんは!
体にメスを入れるという行為は
考えている以上に体に負担を掛けるものですものね。
ましてや、手術をすると
体の中には活性酸素が増えるので
よほど体力があるうちならまだしも
体力が無くなって来ると、二次災害的に
ガタガタと崩れてしまい
あらぬ余病を差したりするものですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、仰るとおりですね。
陛下の場合、どうしても玉体にメスを入れる必要がありました。結果として寿命をお伸ばしになることはできたのですが…。