なお、幕府によるキリスト教の弾圧はその後も続けられ、1664年に寺請(てらうけ)制度を設けて、民衆が信仰する宗教の調査のために宗門(しゅうもん)改めを実施し、すべての国民を寺院の檀徒(だんと)として、宗旨人別帳(しゅうしにんべつちょう)に登録させました。
寺請制度によって、全国民が在住する周辺の寺院の檀家(だんか)として、寺院への参詣や父祖の法要、あるいは付け届けを義務付けられ、これらに応じなければキリシタンとみなされるようになってしまいました。
この他にも、キリストやマリアの聖画像などを踏ませる絵踏(えぶみ)を行ったり、キリシタンの密告を奨励したりするなどの政策を行いました。





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ぴーち こんばんは!
オランダはキリスト教を布教しないと約束したのですか・・
その後のオランダとの関係は、どうだったのでしょうか。
もしかしたら
当時のオランダは宗教を隠れ蓑とした野望を、他のものに上手くすり替えて
日本との国交を続ける手段に成功したというオチが
付いて来る訳ではないでしょうね?w
ぴーちさんへ
黒田裕樹 オランダはプロテスタントを信仰していました。
プロテスタントはヨーロッパで確実に浸透しており、海外での布教の必要がなかったので、貿易だけのビジネスライクな関係を望んだということになりますね。