さらに1633年には、従来の朱印状の他に、老中奉書(ろうじゅうほうしょ)という許可状を受けた、奉書船以外の日本商船の海外渡航を禁止し、1635年には、日本人の海外渡航や在外日本人の帰国を全面的に禁止しました。また、この間に中国船の寄港を長崎に限定したほか、長崎に出島(でじま)を築いてポルトガル人を移動させ、日本人との接触を制限しました。
ところで、島原藩(しまばらはん)が置かれていた肥前国島原(現在の長崎県島原市付近)は、かつてはキリシタン大名であった有馬晴信が領有しており、その関係もあって、領内には多数のキリシタンが存在していました。
しかし、有馬氏が日向国延岡(現在の宮崎県延岡市付近)に領地替えとなり、幕府直轄の天領を経て、松倉氏(まつくらし)が新たに藩主となりました。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
日本人が海外へ行くことを禁じるのはまだしも、
海外にいる日本人が帰国出来ないというのは
厳しいお触れでしたね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 海外の日本人が帰国できなかったのは、滞在中にキリシタンに改宗して、帰国後に布教活動をする恐れがあったからとされています。ここまで用心しなければならないほど、幕府にとってキリシタンが手ごわい存在だったのでしょうね。