家康はイスパニアとの交易にも積極的で、1609年に上総(かずさ、現在の千葉県の一部)に漂着したルソンの前総督ドン=ロドリゴを、翌1610年に船で送還する際に、京都の商人であった田中勝介(たなかしょうすけ)らを同行させ、イスパニア領ノヴィスパン(=メキシコ)との通商を求めました。
また、仙台藩主の伊達政宗(だてまさむね)は、1613年に家臣の支倉常長(はせくらつねなが)をイスパニアに派遣して、ノヴィスパンで直接交易を開こうとしましたが、いずれも目的を果たすことはできませんでした。
なお、支倉常長の使節団は、当時の年号から慶長遣欧使節と呼ばれています。また、田中勝介は後に帰国を果たし、太平洋を横断した最初の日本人とされています。





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ぴーち こんばんは!
田中勝介ですか・・
お名前は初めて伺ったのですが、
これは歴史認識者の方々の間では当然
ご承知のことなのでしょうけれど、
私のような一般人の間では、
知らない方も多いのでは無いかと思うのですが
もしかして、私だけ知らなかったという事は
有るでしょうか(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 残念ながらあまり知られていないですね。
日本人の快挙をもっと教えるべきではないかと思いますが…。