しかしその一方で、イギリスのように「マグナ・カルタ」や「権利の章典」などといった、議会決議や裁判所の判例、国際条約、あるいは慣習などのうち、国家の性格を規定するものの集合体として存在し、憲法典としては制定されていない「不文憲法」を採用している国家も存在しています。
ひるがえって、長い歴史を持つ我が国では、604年に聖徳太子(しょうとくたいし)によって制定された「憲法十七条」や、鎌倉時代に北条泰時(ほうじょうやすとき)によってつくられた「御成敗式目」、あるいは明治元(1868)年に明治天皇が神前にてお誓いなされた「五箇条の御誓文(ごせいもん)」など、イギリスと同じような「不文憲法」として対応できる法令が存在していました。
さらには、我が国最古の歴史書である古事記や日本書紀によって知られている、天照大神(あまてらすおおみかみ)が御孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)にお与えになられた「我が子孫(=天皇)が日本を治めることは永遠である」という意味の「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)」は、我が国の国体(こくたい、国家としての体制のこと)の中心であると同時に、不文憲法の根幹をなすものです。
しかし、江戸幕府の長い「平和ボケ」によって他国に無理やり開国させられるといった、我が日本民族の特性ともいえる「極限状態になるまで決断できなかった」ことによって、かねてより存在していた「日本における不文憲法」を説明する余地がなかったことが、我が国の将来に暗い影を落とすことになりました。
※下記の映像は1月6日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
言われてみれば、確かに
諸悪の根源は「平和ボケ」から来ているのでしょうね。
今回のお話もそうでしょうし、つい最近まで
有耶無耶にされてきた国歌でさえ、ようやく
正式に決まった次第ですし。
長い間
自然の恩恵に恵まれ過ぎていた結果、
外国との切磋琢磨を経験出来ない
苦労知らずな国になって
しまったのでしょうかね(^^ゞ
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに我が国は地政学上でも平和を謳歌しやすい国でした。
だからといって、いつまでも「井の中の蛙」でいられるわけもなく、そう考えれば返す返すも鎖国の状態が長続きしたのは痛かったですね。