政府による血のにじむような努力の末、領事裁判権が明治27(1894)年に撤廃され、関税自主権が明治44(1911)年に回復するなど、半世紀以上もの時間をかけて、ようやく条約改正を達成することができたのです。
しかし、条約改正の道のりは決して平坦ではなく、特に我が国にとって深刻だったのは、諸外国から「国家の基本法たる憲法もないような野蛮な国家とは、条約改正の話し合いに応じられない」と突き放されたことでした。
このため、我が国は約7年という長い歳月を費やして「大日本帝国憲法(=明治憲法)」を発布したのですが、こうした努力は、本当は不要なものでした。
なぜなら、我が国には長い歴史に根差した「不文憲法」がかねてより存在していたからです。
※下記の映像は1月6日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
前回頂いたお返事のお言葉を返すようで
恐縮ですが、
私は「不必要な試練」でも、それは個々人でもまた
国全体の問題にせよ、無駄な試練は1つとして
無いものだと思っておりますし、今もそう感じてはおります。
然しながら、その不必要な試練を強いられた際にはまた不必要な努力を重ねて、信用を回復していかなければならないものなのだと改めて思いました。
オバrev 黒田先生 明けましておめでとうございます。
国際条約ってのは、政権が変わっても決して反故に出来ないものですよね。
それが反故にできたら、そんな国とは条約結べない・・・でも近くにそれに近いような国がある気がしてます(^o^;
またその条約を改正するのは、時間もかかるし、大変な努力がいるんですね┐(´д`)┌
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ぴーちさんのお考えも理解できます。
国家の歴史やその後をも巻き込んだ試練は出来るだけ避けたいですが、その一方で国家の矜持を取り戻せるような努力も続けたいものですね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 あけましておめでとうございます。
条約は国際社会の約束事ですから、そう簡単には曲げられません。
内容が不平等であったとしてもそれを順守し、改正のための努力をしなければならないんです。
できればそのような努力をしたくないものですが…。