当歴史講座では久しぶりとなった、エンタメ性の強い内容でしたが、私自身も肩の力を抜いて楽しく語ることができました。特に、冒頭の「演技」では皆様の笑いを誘うことができましたので、東京の皆様もお楽しみに(笑)。

次回(1月31日)は東京講演を行います。大阪同様、多数の皆様にお越しいただけることを心より願っております。
第52回黒田裕樹の歴史講座(東京講演)
「徳川吉宗と徳川宗春」
主催:一般社団法人正しい歴史を伝える会
後援:my日本・授業づくりJAPAN
日時:平成28年1月31日(日) 午後3時より
場所:スター貸会議室 飯田橋 (会場は2階です)
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
資料代:金1,000円
参加をご希望の方(特に関東在住の方々)は、ブログ右下の「メールフォーム」を活用のうえ事前にご連絡くだされば幸いです。当日の飛び入り参加も歓迎いたします。
今回の講演の際に「大東亜戦争その1 ~予兆(第47回)」「大東亜戦争その2 ~苦悩(第48回)」「大東亜戦争その3 ~死闘(第49回)」「大東亜戦争その4 ~未完(第50回)」「吉田松陰と井伊直弼(第51回)」のレジュメを、資料代として金1,000円(第47回・第48回・第49回・第50回・第51回でそれぞれ別料金となります)でお分けします。以前の講演にご参加いただけなかった皆様を中心にぜひお求めください。
また、講座終了後に近辺の居酒屋で懇親会(会費金3,500円~4,000円程度)を行いますので、よろしければこちらにもご参加くださるようお願いします。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
また、重大な人権侵害である拉致問題を解決しようともしない北朝鮮が、つい先日に水爆実験を成功させたと発表するなど、核やミサイルの開発を続けています。
加えて、50年以上前の昭和40(1965)年に日韓基本条約を結んで国交を樹立させながら、我が国固有の領土である竹島を不法占拠し続けるばかりか、条約によって戦後補償をすべて終了させたにもかかわらず、昨年末まで国家間でいわゆる「慰安婦」問題を不可逆的に解決できなかったという、韓国の存在もあります。
要するに、戦後から70年が経過して、世界のパワーバランスに大きな変化がもたらされようとしているのですが、我が国は今後どのような外交をすべきなのでしょうか。





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ぴーち こんばんは!
パワーバランスですか。
大事な事ですが、難しい舵取りだと思います。
あまりに力任せに相手国を押しつぶそうとすれば、
アメリカの脅威から生じた憎しみにまみれた
イスラミックステートの様に新たな「悪」を生みかねませんものね。
程々の抑止力を持つ事が今後の日本の課題と
なるのでしょうかね・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、難しいかじ取りであり、プロの政治家に任せるしかありません。
だからこそ、私たち国民は真剣に選挙に向かわねばならないのです。
うろつき 某政党のC委員長、驚異の本質は、中東に派兵して、現地人に危害を加えることみたいな事を言ってしまいましたが~(-_-;)
C委員長は、どうせ日本が悪いと思ってるのでしょう~(-_-;)
うろつきさんへ
黒田裕樹 政党によって色々な考えがあっても良いとは思いますが、あまりにも公平さを欠くような見解はいかがなものかと言わざるを得ないですね。
戦後の我が国の「平和」は、アメリカの「核の傘」に由来しているのであり、決して日本国憲法第9条の「平和主義」のおかげではないのです。
こうした「厳然たる史実」を理解するためにも、私たち一人ひとりが「歴史を学ぶ」重要性を問われているのではないでしょうか。
さて、戦後長く続いた我が国の「一国平和主義」ですが、これまでに「世界の警察官」を自他ともに認めてきたアメリカが、オバマ政権発足後の財政難もあって、急速に内向き思考を強めていることで、その根本が揺(ゆ)るがされようとしていることに、皆様はお気づきでしょうか。





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ぴーち こんばんは!
なるほど、江戸時代ほどの長きに渡るものでは
有りませんが、今の日本が平和を保っていられるということは、鎖国の状態と酷似している
所ありますね。
しかも、今回の戦後の平和は、アメリカの傘下という
抑止力があってこその平和だということになると、
平和主義者のオバマ政権では世界に対する抑止力がどうしても低下してしまいますが、
日本もそれに合わせて
世界からの危険が及ぶ可能性が高いという事になりますね。
日本が平和を保つには、アメリカが絶対的な脅威にならないといけない訳で、アメリカにそれを期待出来ない(期待してはいけない)となると、日本独自が力を持たなければ
平和は維持出来ない。そういう流れになりますね・・。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 まさしく仰るとおりです。
だからこそ、我が国は日米安保条約を補う、あるいは上回る防衛体制を整えねばならぬのであり、そのための施策を安倍首相はすでに行っておられます。
第9条 第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇(いかく)又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
我が国の公民教科書の多くが、第9条で掲げられた「平和主義」を高く評価しており、中には「国民が再び悲惨な戦争に陥(おちい)らないようにするためには、一人ひとりが憲法9条の精神に立ち返り、戦争のない平和な世界の実現に向けて努力していく必要がある」と書いているものもあります。
しかしながら、いかに我が国が平和主義を一方的に訴えたところで、相手国が言うことを聞かなければ何の意味もありません。





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ぴーち こんばんは!
確かにそうですよね。
ここは立ち入り禁止だと
立て札をいくら見えるように建てた所で、それ以外の抑止力に乏しければ、
勝手に立ち入っていたずらされたりしますものね。
相手が物分りの良い、誠意ある人なら
それだけで十分理解されましょうが、
悪意や敵意を持つ人間相手なら何の効果も
発揮しませんしね。
少なからず
監視カメラなり、バリケードなり
何らかの措置を施さなければいけませんもんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 人間同士、しかも同じ日本人であればともかく、まともな抑止力もなく外国と友好関係を結べるはずがありません。
だからこそ、防衛力が国家にとって生命線となるのです。
なかでも重要なのは、当時の我が国が「世界最大の軍事国家」であったということです。外国船の来航を禁止するなど、江戸幕府が常に強気の姿勢を崩すことがなかったのは、他国による侵略を防ぐ「抑止力」が高かったからだという背景を抜きに語ることはできません。
また、それ以前の歴史を振り返っても、比叡山延暦寺の焼打ちなど、自分に反対する勢力に容赦ない攻撃を加える織田信長に対して、イスパニアやイエズス会が表立った動きを見せずに「猫をかぶっていた」可能性が高く、信長の天下統一の事業を引きついだ豊臣秀吉には本性をあらわしたものの、見事に「返り討ちにあった」という一面がありました。
さらには、結果として失敗に終わったものの、秀吉が朝鮮出兵を敢行し、我が国の軍勢が海外において華々しく活躍した事実も、我が国への侵略の意欲を諸外国に失わせるに十分だった、という歴史の流れも見逃せません。





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ぴーち こんばんは!
なるほど、秀吉の朝鮮出兵は
日本の力を世界に識らしめる目的も
あった訳ですか。ですから、今でも韓国は
この朝鮮出兵については、遺恨に感じている
訳なんですね。(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 朝鮮出兵の真の目的はあくまでも明の征服であり、その道案内を断った朝鮮を攻めただけです。
ただ、本文にもありますように、朝鮮出兵における日本軍の活躍が、結果として外国に「日本侮るべからず」と思わせたのも事実です。今に至る朝鮮の人々の思いは、格下と信じていた日本に攻められたという「屈辱」でしょうね。
最初に考えられるのは、鎖国の状態に入った頃の我が国は戦国時代が終わったばかりで、数十万の兵士や鉄砲が存在していたことでした。これだけの兵力や武器を所有している国は、当時は他になく、ヨーロッパ諸国といえどもそう簡単には攻められません。
また、この頃はヨーロッパ諸国において大きな変化があり、それまでのイスパニアやポルトガルの国力が衰える一方で、新たにイギリスやオランダが勢力を伸ばしつつありましたが、両国はプロテスタントを信仰しており、カトリックと違って領土的野心を持っていなかったことも、我が国には良い結果をもたらしました。
さらには、当時の我が国が、鉄砲の増産を可能とするなど先進的な文化を持っており、海外との結びつきがなくても、自国だけで十分に経済や文化が発展できたことや、島国であるがゆえに、海という「天然の防壁」が、我が国の防衛力を高めていたことも考えられます。
しかしながら、これは同時に、もし当時の我が国にとって「長所」となっていた様々な利点が失われてしまえば、一転して我が国は苦しい立場に追い込まれてしまうことも意味しました。そして、その不安は、約200年後に現実のものとなってしまうのです。





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ぴーち こんばんは!
なるほど。
ある面では確かに利点であるけれど、
ある面では、それが短所にもなりうる訳ですね。
両刃の剣ですか・・
難しいですね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 鎖国の利点が崩れ落ちていくのは第51回歴史講座で詳しく紹介したとおりですが、利点が時の流れで短所になるのは何とも言えませんね。
なお、幕府によるキリスト教の弾圧はその後も続けられ、1664年に寺請(てらうけ)制度を設けて、民衆が信仰する宗教の調査のために宗門(しゅうもん)改めを実施し、すべての国民を寺院の檀徒(だんと)として、宗旨人別帳(しゅうしにんべつちょう)に登録させました。
寺請制度によって、全国民が在住する周辺の寺院の檀家(だんか)として、寺院への参詣や父祖の法要、あるいは付け届けを義務付けられ、これらに応じなければキリシタンとみなされるようになってしまいました。
この他にも、キリストやマリアの聖画像などを踏ませる絵踏(えぶみ)を行ったり、キリシタンの密告を奨励したりするなどの政策を行いました。





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ぴーち こんばんは!
オランダはキリスト教を布教しないと約束したのですか・・
その後のオランダとの関係は、どうだったのでしょうか。
もしかしたら
当時のオランダは宗教を隠れ蓑とした野望を、他のものに上手くすり替えて
日本との国交を続ける手段に成功したというオチが
付いて来る訳ではないでしょうね?w
ぴーちさんへ
黒田裕樹 オランダはプロテスタントを信仰していました。
プロテスタントはヨーロッパで確実に浸透しており、海外での布教の必要がなかったので、貿易だけのビジネスライクな関係を望んだということになりますね。
なお、乱後に松倉勝家は領地を没収されただけでなく、大名としては異例の斬首刑に処せられ、寺沢堅高は唐津藩の領地のうち天草領を没収されると、ショックを受けたのか後に自害して、寺沢家は御家断絶になりました。また、抜け駆けした鍋島勝茂も罰を受けています。
大名への斬首刑など厳しい処罰を行ったということは、それだけ幕府が島原の乱が起きたことに大きな衝撃を受けていたということであり、この後、幕府はますますキリスト教(=カトリック)への弾圧を強めることになりました。
1639年、幕府はポルトガル船の来航を禁止して、カトリックを信仰する国とは国交を断絶しました。さらに2年後の1641年には、平戸のオランダ商館を長崎の出島に移し、オランダ人と日本人との自由な交流も禁止するなど、長崎奉行の厳しい監視が続けられました。





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ぴーち こんばんは!
斬首刑ですか・・
丁度、10日ほど前に全く見覚えない人が
私の目の前で斬首刑で首を落とされ
驚いて
飛び起きたら、夢だったと言うのを思い出してしまいました(^_^;)(^_^;)
その日、そう言えば、携帯を紛失してしまいましたっけ・・
今思うと
悪いことが起きる前触れだったのかも・・(T_T)
まあ、私の話はさておき、
この場合は外国の陰謀を阻止したかった日本の措置だった訳で、決して相手がキリスト教だったからという話では無かったのでしょうけれど、
それでも、こう言う事実を伺うと、惨たらしい場面が
浮かんで来て、やり切れませんね・・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 それは大変な夢でしたね…。
今回の場合は、松倉氏の無茶な統治が島原の乱を生んでしまったのですから、極刑もやむを得ないと思います。
うろつき これだけ大き犠牲が出れば、キリスト教を排除したくなります。
トランプ氏みたいな事を言ってしまいましたが。
制限された貿易。
商人からすれば、つまらない話ですよね~(-_-;)
うろつきさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、やむを得ないですね。
貿易は幕府の独占ですが、確かに商人にとっては旨みが少ないですね。
さて、先の総攻撃で、板倉など4,000人以上の死傷者を出した幕府側は、一揆勢に対して兵糧攻めの作戦に出ました。長引く戦いで兵糧や弾薬が尽きた一揆勢は、次第に苦しくなりました。
持久戦を選んだとはいえ、あまりにも戦いが長引くと幕府の威信にかかわると判断した信綱は、2月28日に総攻撃をかけて、一揆勢を鎮圧することに決めました。
しかし、信綱の動きを察した佐賀藩(さがはん)の鍋島勝茂(なべしまかつしげ)が抜け駆けをしたために、一日総攻撃が早まっただけでなく、指揮系統が乱れたことで幕府軍は混乱し、死者1,000人以上、負傷者を合わせれば1万人を超える被害を出してしまいました。





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ぴーち こんばんは!
戦いの理由と言うのは実に複雑な人間の
思いが交錯するものですね。
しかもそれは正義の為などではなく、
己の威信の為、顕示欲など
自分自身の力を誇示したいが為の戦いとなると
これほどまでに泥沼化してしまうものなのですね。
恐ろしいです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、恐ろしいですね。
島原の乱には人間の「嫌な部分」がすべてあらわれているような感があります。
ブログのもう一つの目玉である「本物の歴史講座」ですが、次回(第52回)は「徳川吉宗と徳川宗春」と題し、ライバル関係と思われがちな二人の政治を振り返りながら、幕政の転換期における大きな歴史の流れを振り返ります。

(クリックで拡大されます)
講座に参加をご希望の皆様(特に東京講演においては関東在住の方々)は、ブログ右下の「メールフォーム」を活用のうえ事前にご連絡くだされば幸いです。当日の飛び入り参加も歓迎いたします。今回も大阪講演の開始時間がいつもより遅くなりますので、日程などにご注意ください。講座の内容については、これまでと同様に後日にはブログ上で映像とともに発表します。
第52回黒田裕樹の歴史講座
「徳川吉宗と徳川宗春」
主催:一般社団法人正しい歴史を伝える会
後援:my日本・授業づくりJAPAN
【大阪講演】
日時:平成28年1月23日(土) 午後6時30分より
場所:大阪市立総合生涯学習センター 第1研修室
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
資料代:金1,000円
【東京講演】
日時:平成28年1月31日(日) 午後3時より
場所:スター貸会議室 飯田橋 (会場は2階です)
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
資料代:金1,000円
今回の講演の際に「大東亜戦争その1 ~予兆(第47回)」「大東亜戦争その2 ~苦悩(第48回)」「大東亜戦争その3 ~死闘(第49回)」「大東亜戦争その4 ~未完(第50回)」「吉田松陰と井伊直弼(第51回)」のレジュメを、資料代として金1,000円(第47回・第48回・第49回・第50回・第51回でそれぞれ別料金となります)でお分けします。以前の講演にご参加いただけなかった皆様を中心にぜひお求めください。
また、講座終了後に近辺の居酒屋で懇親会(会費金3,500円~4,000円程度)を行いますので、よろしければこちらにもご参加くださるようお願いします。





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