もし海上から大砲や鉄砲などで対岸の陸地へ向かって発砲することができるようになれば、海で囲まれている我が国にとっては、日本列島のどこからでも狙われるということにならないでしょうか。
つまり、蒸気船の発明によって、我が国は「天然の防壁」どころか「どこからでも狙われる大変危険な国」になってしまったのです。
オランダも蒸気船の脅威が分かっていたからこそ、別の思惑があるとは考えられるものの、我が国に対して親切にも開国を勧告してきたのですが、そんなオランダに対して、老中の阿部正弘(あべまさひろ)は、世界情勢の認識の乏(とぼ)しさもあって勧告を無視してしまいました。
「鎖国は幕府の祖法であって変えることはできない」。間違った認識を言い続けることで、自身をも騙(だま)し、判断を誤る(今も行われているかもしれませんが)。こうした自家撞着(じかどうちゃく、同じ人の言動や文章が前後で食い違っていること)が、我が国最大の危機と幕府崩壊への序章になったのです。なお、言うまでもないことですが、いわゆる「鎖国」を行ったのは徳川家康(とくがわいえやす)ではなく、よって幕府の「祖法」ではありません。
※下記の映像は12月29日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
蒸気船の恐ろしさを知らずにいたら
結局、その蒸気船というピストルをいきなり
突きつけられてあえなくホールド・アップさせられてしまうとは夢にも思わなかったのでしょうね。
鎖国は家康の代ではなく、後の後継者が行った訳なのでしょうか?
すみません、そこら辺の所が分からず認識が曖昧です(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 蒸気船の恐ろしさを知らずにいたら
> 結局、その蒸気船というピストルをいきなり
> 突きつけられてあえなくホールド・アップさせられてしまうとは夢にも思わなかったのでしょうね。
そのあたりがまさに「平和ボケ」の象徴ですね。
> 鎖国は家康の代ではなく、後の後継者が行った訳なのでしょうか?
> すみません、そこら辺の所が分からず認識が曖昧です(^_^;)
制限貿易を完成させたのは家光の頃ですが、当時は「鎖国」の意識はありませんでした。
ラクスマンの通商要求を松平定信が拒否したあたりでは完全に「祖法」になっていますね。
オバrev 成る程~!
やっぱトップは時代の流れに敏感でないといけませんね。
でも時代にかかわらず変わらないものも大事です。
この時代、変わらずに続いたものはあるんでしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > でも時代にかかわらず変わらないものも大事です。
> この時代、変わらずに続いたものはあるんでしょうか?
鎖国が続いた分、江戸時代の風習は長く続きました。
それが明治の文明開化で相当変わってしまいましたが…。