しかし、直弼には直弼の言い分がありました。彼は開国という国家の存亡にかかわる重要な問題に対し、それまでの幕府の為政者たちが無責任に先送りしてきたツケを一気に払わされただけという立場でもあったのです(詳しくは後述します)。
加えて、条約反対派あるいは攘夷派が「外国人など我が国から追い出せばよい」と口先では威勢のいいことを言いながら、もし我が国が侵略されたらどうするのか、という問題に対しては口をつぐんで答えようともしないという有様も、直弼を苛立(いらだ)たせていました。
反対派や攘夷派の余りもの無責任さに怒りが爆発した直弼は、幕府大老という自分の立場を活用して、彼らに対する大粛清(だいしゅくせい)を行う決意を固めました。安政5(1858)年から6(1859)年にかけてのこれらの弾圧は、安政の大獄と呼ばれています。
※下記の映像は12月22日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
そういうお話を伺うと
確かに直接的な原因は、直弼にあっても
間接的には他の人間も少なからず
原因になっている場合が有りますよね。
本人の性格による部分も多々有るでしょうが、
環境やそれまでの経緯によって
そうせざるを得ない状況に追い込まれてしまう
場合も有りますよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
当人の能力だけではどうすることもできない歴史の流れが存在することがあるんですよね。