アロー戦争に敗北した清は、1858年に不平等な内容の天津(てんしん)条約を結ばされましたが、ハリスはこのことを口実に、幕府に対して以下のように通商条約を強く要求しました。
「清に勝ったイギリスやフランスが勢いに乗って日本を侵略する可能性が否定できないから、これを防ぐには日本と友好的なアメリカと通商条約を先に結んで、彼らに戦争の口実を与えないようにする以外に方法はない」。
ハリスの警告を受け、大老であった井伊直弼が、勅許を得ないままアメリカと通商条約を結ぶことを決断しましたが、このことが孝明天皇のお怒りを招くとともに、将軍の後継問題とからんで攘夷派の激しい反発を受けることになってしまったのです。
※下記の映像は12月22日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち おはようございます!
これはある種、巧みな催眠商法ですね・・(^_^;)
焦って物事を決めてしまうと
ろくな事にはなりませんものね・・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですよね。
それだけに、当時の井伊直弼の苦衷がしのばれます。