当時の老中であった堀田正睦(ほったまさよし)はアメリカとの通商に理解を示しましたが、幕府の独断で通商条約を結べば、開国に反対して外国を排斥(はいせき)しようとする攘夷派(じょういは)の激しい反発を招く可能性があることを警戒しました。
そこで、堀田は条約の締結に際して天皇の許可、すなわち勅許(ちょっきょ)を得ることで世論を納得させようと考えました。封建社会において、それまでは独断で何事も強行してきた幕府でしたが、この頃には朝廷の顔色をうかがわなければならないまでに権威が低下していたのです。
しかし、堀田の狙いは裏目に出てしまいました。当時の孝明天皇(こうめいてんのう)をはじめとして朝廷には攘夷派の意見が強く、容易に勅許が下りなかったのです。自分で仕掛けた足枷(あしかせ)により行きづまった幕府に対して、ハリスは当時の世界を揺るがした大きな出来事を利用して、追い打ちをかけるかのように通商を迫りました。
※下記の映像は12月22日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
天皇はその時代、時代で
随分、良いように利用されて来たのですね。
しかし利用する側の理由次第で
裏目に出たり、成功したり・・。
天皇そのものの存在は不変であっても。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、歴代の為政者は天皇陛下を様々なかたちで「活用」してきました。
それが我が国の歴史の重みでもあるのですが、このときばかりは裏目に出てしまいましたね。