自らを「花の咲くことのない埋もれ木」に例えた直弼は、「埋木舎(うもれぎのや)」と名付けた邸宅(ていたく)で世捨て人のような暮らしを続けていましたが、弘化(こうか)3(1846)年に、兄の14代藩主の井伊直亮(いいなおあき)の世継ぎであった、同じく兄にあたる井伊直元(いいなおもと)が亡くなったため、直亮の養子という形で彦根藩の後継者に決定しました。
そして、嘉永3(1850)年11月21日に藩主直亮が死亡すると、家督(かとく)を継いだ直弼は46歳で15代彦根藩主となりました。かつての世捨て人が藩主となるという大出世を遂げたわけですが、直弼の「サクセス・ストーリー」はこれからが本番でした。
かつての徳川四天王の一人であった井伊家の藩主として、その存在感を増し続けた直弼は、安政5(1858)年4月23日に大老に就任し、国内外それぞれの重要事項について最終的な決定を行うことになるのです。
※下記の映像は12月22日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
私の知人なのですが、
ご本人は男ばかりの9人兄弟で
一番末っ子。
自分がまさか親の面倒を看るわけは無いと
思っていたそうですが、そのまさかが
的中してしまい、結局、親の面倒と後始末を
任されたそうなんです。
それがサクセス・ストーリーというかどうかは存じませんが、そんなどんでん返しが
有ることは確かですよね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに、末っ子だからといって何が起きるか分からないのが世の中ですからね。
井伊直弼の今後はどうなるのでしょうか…。