もっとも、我が国の将来を憂い、無私の行動を貫いて最期には潔く刑場の露(つゆ)と消えた吉田松陰が現在も多くの人々に慕(した)われ続けているのに対して、安政(あんせい)の大獄(たいごく)を断行してその松陰の生命を奪った井伊直弼は、一般的には評価されることが少ないように思われます。
しかしながら、当時の我が国の大きな歴史の流れをたどれば、松陰も直弼もある意味「犠牲者」としては同じ立場であるばかりか、幕府による数々の失策が、現代の私たちにまで暗い影を落としているという驚くべき事実を皆さんはご存知でしょうか。
今回の講演では、松陰と直弼のそれぞれの生涯を振り返りながら、我が国が今もなお抱え続ける大きな問題と、その解決方法について探っていきたいと思います。
※下記の映像は12月15日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
なるほど、幕府の失策ですか。
どのようにこの二人の人物を絡め、展開していくのか
楽しみに拝見させて頂きたいと思います^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、幕府の失策ですか。
> どのようにこの二人の人物を絡め、展開していくのか
> 楽しみに拝見させて頂きたいと思います^^
有難うございます。
今回の結末ほど「大きな歴史の流れ」を実感できるのはなかなかないのではと思っております。
こんにちは
鬼藤千春の小説・短歌 はじめまして!あるブログを拝見していたら、このブログに出会いました。私もブログを開設しています。「鬼藤千春の小説・短歌」で検索できます。一度訪問してみて下さい。よろしくお願い致します。
鬼藤千春の小説・短歌さんへ
黒田裕樹 はじめまして、拙ブログへのご訪問並びにお言葉有難うございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
今回の講演で一番申し上げたかったことは、「なぜ吉田松陰や井伊直弼が悲劇的な最期を遂げたか」ということであり、その理由は「江戸幕府が開国を嫌がり、ギリギリまで決断できなかった」からでした。そして、このことが我が国の運命を狂わせ、本来の我が国がイギリスのような「不文憲法の国家」であるはずが、不平等条約の改正のためにわざわざ成文憲法たる「大日本帝国憲法」をつくらざるを得ず、それが現在の「日本国憲法」につながっているという事実を、私たちは直視しなければなりません。

次回(第52回)の歴史講座は、平成28年1月23日(土)午後6時30分より大阪・梅田で、並びに1月31日(日)午後3時より東京・飯田橋で「徳川吉宗と徳川宗春」と題し、ライバル関係と思われがちな二人の政治を振り返りながら、幕政の転換期における大きな歴史の流れを紹介する予定です。なお、次回の大阪講演は開始時間がいつもと異なるとともに、東京講演が日曜日の開催となりますのでご注意ください。

(クリックで拡大されます)
また、今回の講演の内容は、28回に分けて12月10日よりYouTubeによる映像とともに更新を開始しますので、どうぞご期待ください。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。