しかし、そんな保守系の「油断」の隙(すき)を突くかたちで、左翼系の「進歩的文化人」と呼ばれた人々は、自らの思想を満足させるために、ソ連崩壊以前から続けていた「日本の歴史から中華人民共和国や韓国の好みそうな問題を取り上げ、両国に『ご注進』する」という流れを一気に加速し始めました。
こうした我が国の左翼からの誘いに、中華人民共和国や韓国が乗ったことによって、あまりにも一方的な「日本はアジアの人々を中心に、世界中の人々に耐え難い苦痛を与えた」という自虐史観が、ソ連崩壊以前より強固に定着してしまいました。
加えて、単なる自虐史観で飽き足らない左翼の人々が、歴史的に有り得なかったり、そもそも虚構から始まったりしている「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」といった問題をでっち上げたことで、我が国に今もなお大きな影響を与えているのです。
※下記の映像は11月30日までの掲載分をまとめたものです。





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近隣諸国条項断固撤廃! 本当に由々しき問題だと思います。
最大の被害者は間違った歴史を
教えられる子供たちです。
当ブログを最初から
ふりかえりたいのですが
内容が盛りだくさんで
未だできておりません。
書籍化のご予定などは
ないのでしょうか?
全ての日本人に
読んでもらいたい内容だと
感心しております。
ぴーち こんばんは!
なぜ、韓国や中国に告げ口をしてまでも
それらの国々にお伺いを立てなければ
いけなかったのでしょうかね?
裁判まで行って、日本の罪(らしいこと)は
十分償われたと思いますが・・
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」などと言われる諺が有りますが、戦争の痛手からか、何もかも
疑心暗鬼に陥った当時の人々が
ほんの些細な事にも臆病になっていたとでも言うのでしょうか・・。
けれど、そう考えてしまうと「進歩的文化人」では
無くなってしまいますから違いますかね?・・(^_^;)
近隣諸国条項断固撤廃!さんへ
黒田裕樹 はじめまして、拙ブログへのご訪問並びにお言葉有難うございます。
仰るとおり、近隣諸国条項がなくならない限り、我が国の教科書は良くならないと思います。
ブログへのお褒めのお言葉、恐縮です。
今のところ書籍化の話はありませんが、機会に恵まれれば実現したく思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 結局のところ、WGIPの猛毒が回った反日日本人が未だに我が国のあちらこちらの世界を支配しているということです。
占領時代ならいざ知らず、現代にまで続いているという事実は、日本国内の問題であると言わざるを得ないでしょう。
うろつき こんな無意味なことをして何になるんでしょうか?
韓国人も中国人も、喜ぶとは思えない。
うろつきさんへ
黒田裕樹 > こんな無意味なことをして何になるんでしょうか?
> 韓国人も中国人も、喜ぶとは思えない。
すべては「反日」のためとしか言いようがありません。
我が国を貶めて悦に入る行為は、WGIPで染みついた自虐史観そのものですね。
そして、翌昭和57(1982)年6月に「日本の教科書検定によって、中国華北への『侵略』が『進出』に書き換えられた」と我が国の大新聞が一斉に報道し、中華人民共和国や韓国が日本政府に抗議する騒ぎとなりましたが、これは全くのデマであり、明らかな誤報でした。
にもかかわらず、当時の宮澤喜一(みやざわきいち)内閣官房長官が「近隣の諸国民の感情に配慮した教科書にする」という主旨の発言をしたこともあって、以後の教科書検定において「近隣諸国条項」という名の自主規制が設けられてしまったのです。
教科書誤報事件によって、我が国の教科書検定という、完全に日本国内の問題でありながら、中華人民共和国や韓国に「検閲権」を認めてしまったことで、健全な青少年の育成に欠かせない歴史教科書が、外国の干渉を平気で受けいれるようになったのみならず、中韓両国による執拗(しつよう)な内政干渉や、我が国の謝罪外交が常態化するという悪しき慣習を生み出してしまい、それらは今もなお我が国に深刻な影響を及ぼし続けています。
なお、事実と全く異なる報道を行った大新聞のうち、その後に正式に謝罪をしたのは産経新聞ただ一社のみです。
※下記の映像は11月30日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
宮澤さんと聞くとまずは英語がご堪能で・・という印象が浮かび、それほどまでに英語が堪能であれば、考え方も欧米型なのかもしれないと勝手に解釈してしまうのですが、中身は至って保守的で自虐的な日本人特有のお考えの方だったのでしょうかね?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 中身は至って保守的で自虐的な日本人特有のお考えの方だったのでしょうかね?
残念ながら、そう言わざるを得ないですね。
彼が首相の際に自民党が下野したのも偶然ではないのかもしれません。
幕末に対照的な人生を歩んだ二人の詳細についてはもちろん、彼らを生み出した「歴史の大きな流れ」と、現代の我が国が今もなお抱える問題について、時間をかけて説明いたしました。ご参加の皆様にもお楽しみいただけたのではないかと自負しております。

次回(11月28日)は大阪講演を行います。東京同様、多数の皆様にお越しいただけることを心より願っております。なお、大阪講演の開始時間がいつもより遅くなります(午後6時30分より)ので、ご注意ください。
第51回黒田裕樹の歴史講座 (大阪講演)
「吉田松陰と井伊直弼」
主催:一般社団法人正しい歴史を伝える会
後援:my日本・授業づくりJAPAN
日時:平成27年11月28日(土) 午後6時30分より
場所:大阪市立総合生涯学習センター 第1研修室
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
資料代:金1,000円
参加をご希望の方は、ブログ右下の「メールフォーム」を活用のうえ事前にご連絡くだされば幸いです。当日の飛び入り参加も歓迎いたします。
今回の講演の際に、「大東亜戦争その1 ~予兆(第47回)」「大東亜戦争その2 ~苦悩(第48回)」「大東亜戦争その3 ~死闘(第49回)」「大東亜戦争その4 ~未完(第50回)」のレジュメを、資料代として金1,000円(第47回・第48回・第49回・第50回でそれぞれ別料金となります)でお分けします。以前の講演にご参加いただけなかった皆様を中心にぜひお求めください。
また、講座終了後に近辺の居酒屋で懇親会(会費金3,500円~4,000円程度)を行いますので、よろしければこちらにもご参加くださるようお願いします。





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うろつき いつも楽しく動画とブログを拝見させて頂いてます。
見ている間に何時間も経ってる事もよくあります。
政治経済だけじゃなく、世界情勢などに対する見方も、少しずつ変わってきました。
うろつきさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
これからも拙ブログをよろしくお願いいたします。
今日は!
ミルティリおばさん 無断でリンクさせて頂きました。
こちらで勉強しています。
ときに、”うろつき”さん、とは愉快なHNですね。思わず(*^▽^*)
今日は!
ミルティリおばさん 無断でリンクさせて頂きました。
こちらで勉強しています。
ときに、”うろつき”さん、とは愉快なHNですね。思わず(*^▽^*)
何故か送信されないみたいです。
最後の挑戦。
ミルティリおばさんさんへ
黒田裕樹 お言葉並びにリンク有難うございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
HNにも色々ありますよね。私は本名ですが…。
例えば、独立回復から間もなく、極東国際軍事裁判(=東京裁判)によって戦犯と決めつけられた人々を即時に釈放すべきであるという運動が始まりました。同年6月には日本弁護士連合会(=日弁連)が「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を提出したこともあって運動は全国に広がり、当時の人口の約半分にあたる4,000万人もの日本国民の署名が集まりました。
これに基づいて、翌昭和28(1953)年8月3日に衆議院で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で可決されました。この決議は現在も有効ですから、我が国において「戦犯」なる者は一切存在しないのです。
にもかかわらず、我が国の国会議員やマスコミなどは、こうした厳然たる事実に頬かむりをして、靖国神社に祀(まつ)られたかつてのA級戦犯の人々を非難するなど、戦犯に対する不当な扱いを続けており、日本国民や世界中の多くの人々も戦犯が未だに存在すると錯覚しています。
なぜそうなってしまったのかといえば、年月が経って戦争体験が風化するにつれて、公職追放によってあらゆる業界を支配した左翼思想の猛毒が我が国の全身に回り、WGIPが種をまいた自虐史観が、売国的日本人によって増殖し続けたからであり、その一つに、今から33年前に起きた忌まわしき「教科書誤報事件」があります。
※下記の映像は11月30日までの掲載分をまとめたものです。





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象嵌師 わが国には戦犯がいない事、この事実が全ての日本人に浸透する事を願います。
ぴーち こんばんは!
教科書誤報ですか。
中学までの基礎学力を付ける大切な時期に
間違った知識を植え付けられてしまうと
間違えたまま、ずっと生涯を過ごさなければいけない人が世の中には大半を占めると思いますので、
この時期までの洗脳程恐ろしいものは有りませんから困りますね。
象嵌師さんへ
黒田裕樹 > わが国には戦犯がいない事、この事実が全ての日本人に浸透する事を願います。
私もそう願っております。歴史の真実をもっと拡散しないといけませんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、恐ろしい洗脳です。
それがどのようにして行われていたかをこれから明らかにします。
しかしながら、日米が対等の関係に近づいた新安保条約によって、アメリカの「核の傘」に入るという選択を強いられながらも、我が国の安全保障が飛躍的に高まったことが、その後の平和と繁栄をもたらしたのが歴史の真実なのです。
とはいえ、新安保条約批准以後の歴代自民党政権が、さらに大きな混乱を招きかねない憲法改正や再軍備といった重要な問題を棚上げして、経済成長に偏重(へんちょう)する政策に終始するようになるなど、安保闘争が保守陣営に与えた影響は大きなものがありました。
なお、安保闘争をめぐって意見が対立した社会党右派の西尾末広(ひしおすえひろ)が離党し、昭和35(1960)年1月に民主社会党(後の民社党)を結成しています。
※下記の映像は11月30日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
結局、人は悲しいかな
今置かれている自分たちの生活が豊かに
なる事を一番に願うものですよね。将来に
生きる子孫の事にまで考えが及ばない人間が
大半を占めている限り、未来の為に今どうするべきかなんて事を決められないと思います。
政府も自分たちがいかに支持率を得る事が
出来るかと考えた時には経済が豊かになる
努力をした方が国民受けが断然良くなるので
そちらを最優先に解決してきたツケが現代にまで
及んでしまっているのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、過去のツケが今になって大きな影響を与え続けています。
いつかは清算しなければならないのであれば、もっと昔にやっておかねばならないはずなのですが…。
実は、明日大阪で行う第51回歴史講座の清のテーマも「過去のツケ」にあります。
また、当時の国会で審議されていた警察官職務執行法の強化や、教員の勤務評定などをめぐって、岸信介内閣は革新勢力と対立していましたが、これらと同時期に新安保条約の調印が行われたため、条約を批准する国会審議において、与野党の意見が激突しました。
このため、岸内閣はやむを得ず昭和35(1960)年5月19日に、衆議院で条約批准案を野党欠席のまま強行採決に踏み切りましたが、これを契機として院外の安保改正阻止闘争(=安保闘争)は激しさを増し、安保改定阻止国民会議や全学連による10万人を超えるデモ隊が、連日のように国会を取り囲むようになりました。
そして、6月15日には全学連主流派の約1万人が国会に乱入し、警官隊と衝突して死者を出す惨事となってしまったのです。
新安保条約は参議院の承認を得られぬまま、6月19日に自然成立となりましたが、この騒ぎによって、予定されていたアメリカのアイゼンハワー大統領の訪日が中止されたほか、混乱の責任を取って岸内閣が総辞職しました。
※下記の映像は11月30日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
確かに昔の政治的な論争は死者も出るほどに
白熱していましたよね。
勿論、それだけ皆真剣に政治に関心を持ち
日本の行く末を案じていた証拠なのでしょうけれど。
現在の論争はそこまで大沙汰にはならずに
案外、すんなり事が決まってしまうのが
逆に「そんなもので良いのか!」と歯がゆい思いがします。政治に対する関心度が低い事実が
そのまま反映されているかの様です。
かと言って、死者を一人も出さない事は
不幸中の幸いでも有りますが。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 政治的無関心は問題ではありますが、だからといって死者が出るほどの騒ぎは確かに願い下げですよね。
冷静かつ賢明な対応が一番望ましいのですが…。
岸首相の努力もあって、昭和35(1960)年1月に我が国とアメリカは、ワシントンで日米相互協力及び安全保障条約(=新安保条約)に調印しました。
新安保条約は、アメリカの日本防衛義務を設けるなど対等な内容に近づけたほか、在日アメリカ軍の軍事行動における事前協議制や、固定有効期限を10年とすることなどが規定されました。
しかし、こうした新安保条約の批准(ひじゅん、全権委員が署名して内容の確定した条約に対して締結権をもつ国家機関が確認のうえ同意を与えること)をめぐって、日本国内で激しい闘争が繰り広げられるようになるのです。
※下記の映像は11月30日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは^^
その批准について
不平等さか何かが生じたのでしょうかね?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > その批准について
> 不平等さか何かが生じたのでしょうかね?
不平等というよりも、その中身について問題と感じる勢力があったということになりますね。
詳しくは次回以降の更新をご覧ください。
かくして、我が国は自国の安全保障をアメリカに委ねるかたちとなりましたが、当初結ばれた条約は片務的(へんむてき、契約の当事者の一方のみが義務を負うこと)であり、アメリカに有利な内容となっていました。
例えば、我が国に駐留するアメリカ軍に日本防衛の義務がないことや、駐留軍には日本政府の要請に応じて内乱を鎮圧する権利があってもその義務がないこと、あるいは日本の意思だけでは条約を廃棄できないことなどが規定されていたのです。
しかし、日本国憲法において事実上の非武装国と化していた我が国が、独立回復を機に米軍に撤退されれば、丸裸となった我が国が他国に侵略されるのは自明の理でした。現実問題として、我が国が現在に至るまで平和が保たれているのは、アメリカの「核の傘」に入り込むかたちとなった日米安保条約のおかげであり、決して日本国憲法第9条によるものではありません。
なお、日米安保条約は、対等な立場での日米軍事同盟の構築を目指して、約10年後の昭和35(1960)年に改定されましたが、その際に大規模な抗議行動が起こってしまいました。
※下記の映像は11月30日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
確かに他国から攻められなかったのは、アメリカのお陰で憲法9条のお陰では無いかも知れませんが、
9条があったお陰で、戦争好きなアメリカに命令されて日本から派兵される事が無かった事は憲法のお陰で平和を保てたと言う事なのでは無いでしょうか。
ですので、これまでの日本国はこの2つの条件が
うまく機能していたから平和が維持できたという
ことでは無いかと思うのですが、いかがなものでしょう。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに、朝鮮戦争当時は憲法9条を理由にアメリカからの再軍備の要請を断れたという事情がありました。
しかし、その後は憲法9条があったことで、日本人拉致問題などに対する足かせにもなっているのが実情です。
いつまでも他国の軍備をあてにもできませんからね。
無論、我が国は茶番劇たる東京裁判のすべてを受けいれる意図はありませんでした。しかし、戦後から40年が経過した昭和60(1985)年頃から、日本政府の公式な見解として「東京裁判を受諾して日本は国際社会に復帰した」という表現をするようになっています。
そもそも我が国は、東京裁判などの「諸判決」のみを受けいれたからこそ、独立回復後の昭和28(1953)年に、一方的に戦犯として処罰された人々の名誉を全会一致で回復させ、我が国から戦犯をなくしたのです(詳しくは後述します)。
我が国の名誉のためにも、意図的ともいえる誤訳を何としても解消しなければならないのではないでしょうか。
※下記の映像は11月23日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
そうですよね。
東京裁判で処刑された方たちは
言わば、日本が国際社会の一員として
復帰する為の「人身御供」的な役目を担った
存在・・いや、役目を無理やり背負わされた存在だった訳ですものね。
その無念の思いを後世に生きる私達が
その責任の重大さを感じて感謝して行かなければ
いけないのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
勝者が敗者を裁くという理不尽な中で、潔く刑に処された皆様のことを忘れてはなりません。
第11条の正確な内容は「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに国内外の他の連合国戦争犯罪法廷の『諸判決』を受諾する」ですが、当時の外務省によって「諸判決」が「裁判」と誤訳されてしまったのです。
「日本は『極東国際軍事裁判(=東京裁判)』の『諸判決』を受諾する」という条約の正式な英文は「Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East.」ですが、これが「裁判を受諾する」という英語であれば「Japan accepts the judgment of the International Military Tribunal for the Far East.」と言う表記となります。
この場合なら、相当無理をして「単数形」の「judgment」を「裁判」と訳したうえで「日本は極東軍事法廷の裁判を受諾する」と全体を翻訳することは有り得るかもしれませんが、正式な条文では、そのような「誤解」をなくすため、英語の正文で「複数形」たる「judgments」としました。「裁判」ではなく「諸判決」であることを明確にする意図があったためと考えられます。
さらに付け加えれば、これが「日本は極東国際軍事裁判そのものを受諾する」となると、英語の直訳では「Japan accepts the International Military Tribunal for the Far East.」という表記となりますから「the judgments of」がなくなります。従って、条文を『裁判』と訳したのは明らかに「誤訳」であり、条約を調印した最初の段階から、我が国に贖罪(しょくざい、犯した罪をつぐなうこと)意識を植えつけるといったような、何らかの意図や思惑があったのではとも疑われるのです。
※下記の映像は11月23日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
大東亜戦争勃発の発端も、日本が英文を和訳するのに手間取ってしまっている間に。。という事でしたものね。言葉の壁と言うのは今でこそその知識が十分備わっているものの、当時としては相当厄介な存在だったのでしょうね。
個人的に海外へでかけていって
僅かな解釈の違いがあったとしても現地の方は
多少は目を瞑って笑ってくれるかも知れませんが、
正式な文言となるとそう黙って見過ごすわけにはいかないので大変ですよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 正式な文書であるからこそ、誤訳はあってはならないはずです。
今回の件は、どう考えても意図的な感じがするのですが…。