日本陸軍は制空権を失った状況の下で懸命な指揮を執り、一般県民の防衛隊も兵力に加えた守備隊が軍民一体となって、上陸したアメリカ軍と激しい戦闘を続けました。
また多数の神風特攻隊が出撃したほか、潜航艇(せんこうてい)も「人間魚雷」などの特攻隊としてアメリカ艦隊に大きな損害を与え、さらには沖縄を助けるべく、戦艦「大和(やまと)」も衣服など多くの民需物資を積載して出撃しました。
しかし、戦艦大和は無念にも昭和20(1945)年4月7日に坊ノ岬沖においてアメリカ軍に撃沈され、3,000人余りの尊い生命が失われました。
ところで、戦艦大和の出撃に関しては、常識であった「航空機による護衛」がありませんでした。このことから「戦艦大和は無駄死にであった」と否定的にとらえる人が多いようですが、これは本当のことでしょうか。
※下記の映像は9月22日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
そうですね・・
日本軍が最初から無駄では無いかと
判っていながら出航した船なら無駄死だと
言われても仕方が無い事でしょうけれど、
一縷の望みがあっての判断なら、
それも仕方が無かったのではないでしょうか。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 一縷の望みがあっての判断なら、
> それも仕方が無かったのではないでしょうか。
さすがはぴーちさんですね。
「一縷の望み」をかけた理由については、次回に紹介したいと思います。
いえねこ 巨大戦艦の時代が終わっていたことを大本営も十分理解していたようですね。大和は特攻の象徴として死んでくれというのが最後の使命。だとしても3000人の命は重いですよね。
いえねこさんへ
黒田裕樹 戦艦大和のことを思えば、何とも言えない気持ちにさせられますね。
犠牲者の多さが拍車をかけています。