ご聖断が下った後、阿南陸相は耐え切れずに激しく慟哭(どうこく、悲しみのあまり声をあげて泣くこと)しました。昭和天皇はそんな阿南陸相に対して優しく声をおかけになりました。
「阿南、お前の気持ちはよく分かっている。しかし、私には国体を護れる確信がある」。
昭和天皇によるご聖断は下りましたが、それだけでは大日本帝国憲法(=明治憲法)の規定においては何の効力も持たず、内閣による閣議で承認されて初めて成立するものでした。もし閣議の前に阿南陸相が辞任して、後任者の選任を陸軍が拒否すれば、軍部大臣現役武官制によって鈴木内閣は崩壊し、ご聖断をなかったことにすることは可能でした。
陸軍の強硬派は戦争継続のために阿南陸相に辞任を迫りましたが、阿南は以下のように一喝(いっかつ)しました。
「ご聖断が下った以上はそれに従うだけだ。不服の者あらば自分の屍(しかばね)を越えてゆけ!」
※下記の映像は10月7日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
>不服の者あらば自分の屍(しかばね)を越えてゆけ!」
今の時代、こんなセリフを言うのは、
孫正義氏くらいしか居ないのでは無いでしょうかw
改めてこうして伺うと、男気のある発言ですよね。
勿論、生ぬるい世の中では無かったからこその
生きた言葉がこうして生まれたのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに男気ある発言ですよね。
阿南陸相にはそこまでの覚悟があったということなのでしょう。
我が国の条件に対して、連合国側は8月12日に回答を伝えましたが、その内容は「日本政府の地位は国民の自由な意思によって決められ、また天皇の地位や日本政府の統治権は、連合軍最高司令官に従属する」というものでした。
この条件では我が国が連合国の属国になってしまう危険性があり、また何よりも天皇の地位の保証が不完全なままでした。この内容でポツダム宣言を受けいれるべきか、外務側と軍部側で再び意見が対立しましたが、ソ連による我が国侵略の脅威(きょうい)が間近に迫った現状では、もはや残された時間はありませんでした。
そこで、鈴木首相は14日に改めて御前会議を開きました。会議では自らの意見を述べる者も、またそれを聞く者も、すべてが泣いていました。陛下も意見をお聞きになりながら何度も涙を流され、しばしば眼鏡を押さえられました。そして、昭和天皇による2度目のご聖断が下りました。
※下記の映像は10月7日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
自分の生まれた国を悪く言うものでは
無いかも知れませんが、
客観的に観た時に、
日本がこれだけ外国から苦しめられなければ
ならないという事は、何か日本も
これまでの外国との対応に不十分な
内容が多かったからではないかと
思えてなりません。
日本の良い所、日本が目指しているもの。
或いは、日本の長所をもっと理解して
貰えたなら、もしかしたら
また別な道が開けていたかも知れないと
思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 我が国がここまで追い込まれた理由としては、確かに我が国が早く戦争を終わらせなかったなど落ち度があることは否めません。
戦争は片方だけが悪いわけではない。我が国も外国も同じことです。
「念のため言っておく。今の状態で阿南陸相が言うように本土決戦に突入すれば、我が国がどうなるか私は非常に心配である。あるいは日本民族はみんな死んでしまうかもしれない。もしそうなれば、この国を誰が子孫に伝えることができるというのか」。
「祖先から受け継いだ我が国を子孫に伝えることが天皇としての務めであるが、今となっては一人でも多くの日本人に生き残ってもらい、その人々に我が国の未来を任せる以外に、この国を子孫に伝える道はないと思う」。
「それにこのまま戦いを続けることは、世界人類にとっても不幸なことでもある。明治天皇の三国干渉の際のお心持ちを考え、堪(た)えがたく、また忍びがたいことであるが、戦争をやめる決心をした」。
※下記の映像は10月7日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
そうですよね。
戦争を辞める決断と言うのは、始めることよりも
更に苦しい選択だったと思います。
まさに断腸の思いですね。
それでもこの決断のおかげで、それ以後の
日本には子孫が繁栄し、平和が70年間今日まで
続く事が出来ました。
それを考えると、天皇のこの時の苦渋の判断は
その当時を生きる人達には、非常に悔しい選択では
あったでしょうけれど、未来に生きる私達にとっては
どれほど有り難い選択であった事でしょう・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
だからこそ、私たちは昭和天皇のご聖断を重く受け止めるとともに、陛下に感謝しなければなりません。
もりりん こんばんわ、はじめまして。
久々に乗る電車の待ち時間潰しに読み始め、
そのまま読みふけってしまいました。
保守的な家への反発から地球市民になっていましたが
歴史を趣味とすることで愚かさに気付き、帰化して日本人になった者ですw
かつてナポレオンはフランスの国民的英雄を再評価すること、
つまり歴史を見直して教育を行うことで近代国家のフランス人を作り上げたと言います。
しっかりとした歴史教育こそ、日本人の復活に不可欠のものと思います。
どうぞ、善き話をお聞かせください。
更新を楽しみにさせていただきます
もりりんさんへ
黒田裕樹 はじめまして、拙ブログにお越しくださり有難うございます。
お褒めのお言葉、光栄に存じます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
会議は鈴木首相の他に、阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣、東郷茂徳(とうごうしげのり)外務大臣など合計7人で行われ、東郷外相は宣言の受諾を、阿南陸相はいわゆる本土決戦も辞さないと徹底抗戦をそれぞれ主張し、いつまで経っても平行線が続きました。
やがて日付も10日に変わり、開始から2時間経ったある時、鈴木首相は立ち上がって昭和天皇に向かい、こう言いました。
「出席者一同がそれぞれ考えを述べましたが、どうしても意見がまとまりません。まことに畏(おそ)れ多いことながら、ここは陛下の思(おぼ)し召(め)しをおうかがいして、私どもの考えをまとめたいと思います」。
首相による発言をお受けになって、昭和天皇はお言葉を発せられました。
「それなら意見を言おう。私の考えは外務大臣と同じ(=ポツダム宣言を受諾する)である」。
※下記の映像は10月7日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
やはり最後の決断は、天(天皇)に任さるを得なかった訳ですね。
この時期の一つ一つの決め事には
大きな意味を持つものが多かったでしょうから
天皇陛下のご心痛、ご心労は相当なもので
あった事でしょう。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、相当なご心痛であったと考えられます。
この後のお言葉が素晴らしいんですよね…。
我が国が降伏寸前であったにもかかわらず、まるで実験を行うかのように原爆を2つも落としたアメリカによる暴挙は、東京大空襲とともに国際法上でも決して許されることのない、民間人などの非戦闘員を対象とする空前の大虐殺です。
さらには、アメリカの原爆投下に慌てたのか、ソ連がそれまでの日ソ中立条約を一方的に破って8日に我が国に宣戦布告し、9日から満州北部などへの侵攻を開始しました。
このままでは北海道をはじめとする我が国北部の領土がソ連に奪われてしまいます。我が国はまさに絶体絶命の危機に陥(おちい)ってしまったのでした。
※下記の映像は10月7日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
後日談で、広島、長崎の後に中部地方にも
投下される予定になっていたと聞いた事が有りましたが、(多分、その辺り)アメリカという国は、
そこまで非道になれる要素を常に孕んでいる
所があるので、本来はアメリカとの関わりも
程々にしておきたいと個人的には願っています。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お気持ちはよく分かります。
アメリカ抜きで現在の我が国の安全保障が成り立つのか。
このあたりも非常に重要になると思います。
いつの時代であろうとも、天皇なくして我が国の将来は有り得ません。このため、我が国ではポツダム宣言を受けいれるかどうか、態度を明確にしないまま連合国の出方をうかがうことにしたのですが、この裏には、アメリカによるとんでもない謀略が隠されていました。
実は、当初の宣言文には「日本が降伏すれば天皇の地位を保証する」と書かれていたのです。駐日大使の経験者で我が国の実情をよく知っていたグルーによって、我が国が宣言に応じやすいようにつくられていたのですが、土壇場(どたんば)でアメリカ大統領のトルーマンが削除しました。
トルーマンが削除した宣言が発表されたことによって、アメリカは宣言以前に決まっていた計画を実行に移しやすくなったのです。その計画こそが、悪名高い「原子爆弾の日本への投下」でした。
※下記の映像は10月7日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
こう言う話を伺うと、なんとも言えない腹立たしさを
感じるものですが、トルーマンの様に日本に対しては敵意そのものしか感じられなかったアメリカ人が居る一方で、日本の事を少しでも理解してくれていたアメリカ人が一人でも居たという存在は貴重であり、
有りがたく思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 個人ではなく、国家としての我が国への対応がこうであったという厳しい現実ですよね。
これをしっかり受け止め、未来へとつないでいかねばなりません。
鈴木内閣は、表向きは本土決戦などの強硬策を唱えながら、その裏では密かに戦争終結を図ろうと努力していました。しかし、交渉がなかなか進まない間に、アメリカのトルーマン大統領とイギリスのチャーチル首相、そしてソ連のスターリンが、7月にドイツのベルリン郊外のポツダムで、第二次世界大戦の戦後処理を決定するための会談を行いました。これをポツダム会談といいます。
会談を受けて、7月26日にはアメリカ・イギリス・中華民国の3ヵ国によるポツダム宣言が発表されました。当時はソ連が対日戦に加わっていなかったため、中国を加えることでカムフラージュしようと考えたのです。
なお、鈴木内閣はソ連が参戦の決定をしていたことを見抜けず、ソ連に対して和平の斡旋(あっせん)を要請していました。このあたりにも、当時の我が国の情報戦における決定的な敗北、インテリジェンスの欠如が見受けられます。
※下記の映像は10月7日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
なるほど。
耳も目も塞がれたまま、勝利せよというのは
それこそ並大抵の技では有りませんものね(^_^;)
いかに迅速に多くの正確な情報を得る事が
出来るかが勝敗を分けますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 何事にもそうですが、外交戦こそ情報の入手の有無が大きく左右しますからね。
この段階で、我が国の敗戦は濃厚だったのかもしれません。
もりりん シベリア出兵のときに孤児を救われたことなどから親日感情の強かったポーランドはこの時ドイツとソ連に分割占領されていたそうですが、
その独立活動家たちを日本大使館が支援していたそうですね。
彼らは連合国の極秘情報だったソ連の対日参戦の情報を日本大使館に伝えていて、
大使館も当然その情報を外務省に伝えていたそうですけど
外務省のほうで黙殺されてしまったのでしょうかね?
もりりんさんへ
黒田裕樹 仰る件につきましては、以下のURLに詳細が載っていますが、外務省の態度については今もなお詳しいことは分からないようですね。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h15/jog323.html
大統領の訃報(ふほう)を耳にした鈴木首相は、当時存在した同盟通信社の記者の質問に答えるかたちで「大統領の死がアメリカ国民に対して意味する大きな損失は私にはよく同感できる。深い哀悼(あいとう)の意をアメリカ国民に向けて送るものである」との談話を発表しました。
我が国の同盟国であったドイツのヒトラーが、ルーズベルト大統領の死に際して誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)の言葉を並べ立てたのとは対照的な、敗色濃厚の窮地(きゅうち)に立ちながらも品位と礼節を失わなかった、武士道精神の発露(はつろ)たる鈴木首相の言葉は、世界中から称賛されました。
なお、ルーズベルト大統領の急死を受けて、副大統領のトルーマンが新たにアメリカ大統領に就任しました。
※下記の映像は10月7日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
日本人の考え方に「敵に塩を送る」という
諺が有りますが、今日のお話の様に
アメリカに対しても、また、北朝鮮などに対しても
敵視しながらも、相手国の窮地の際には
手を差し伸べるという大人の対応と言うべき
行動は本当に日本らしいというか、こういう気持ちは
忘れずに居たいものですね。
ただ、相手国によっては
日本のこのような考え方が余りにも崇高過ぎて
自国のそれまでの行いが余りに未熟なものだと
思い知らされる為に、逆に反感を持つ国も
有ることは有りますよね(^_^;)
何処とは言いませんが・。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに「何処とは言いませんが」そういう国がありますよね。
今も昔も変わらないところが厄介であり、悲しくもあります。
講演当日の未明に安保法案が国会で成立し、午後に講演を行うというタイムリーな一日となりましたが、様々な事情によって「大東亜戦争が終わっていない」ことを、多くの皆様にご理解いただけたのではないかと自負しております。

次回(9月22日)は大阪講演を行います。東京同様、多数の皆様にお越しいただけることを心より願っております。
第50回黒田裕樹の歴史講座 (大阪講演)
「大東亜戦争その4 ~未完」
主催:一般社団法人正しい歴史を伝える会
後援:my日本・授業づくりJAPAN
日時:平成27年9月22日(火・休) 午後2時より
場所:大阪市立総合生涯学習センター 第1研修室
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
資料代:金1,000円
参加をご希望の方は、ブログ右下の「メールフォーム」を活用のうえ事前にご連絡くだされば幸いです。当日の飛び入り参加も歓迎いたします。
今回の講演の際に「大東亜戦争その1 ~予兆(第47回)」「大東亜戦争その2 ~苦悩(第48回)」「大東亜戦争その3 ~死闘(第49回)」のレジュメを、資料代として金1,000円(第47回・第48回・第49回でそれぞれ別料金となります)でお分けします。以前の講演にご参加いただけなかった皆様を中心にぜひお求めください。
なお、講座終了後に近辺の居酒屋で懇親会(会費金3,500円~4,000円程度)を行いますので、よろしければこちらにもご参加くださるようお願いします。





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しかし、これは「自決では年金が出ないので、軍の命令があったことにした」という背景があり、当時の指揮官が敢えて謂(い)われなき罪をかぶることで、多くの住民を救おうとした自己犠牲の精神がその真実だったのです。
沖縄戦から60年が経った平成17(2005)年、当時の指揮官やその遺族が、小説家や出版社を相手に名誉毀損(きそん)で訴えました。これを沖縄集団自決冤罪(えんざい)訴訟といいます。
冤罪訴訟は損害賠償請求を目的とする民事訴訟だったことから、最高裁まで争って「損害賠償金を取れなかった」という点では原告側の敗訴に終わりましたが、その一方で裁判所は「軍による自決命令は証明されていない」と判断しました。歴史の真実を明らかにするという点では実質的に勝訴だったのであり、こうした流れを受けて、最近の教科書からは「軍命による自決」の記載が削除されています。
※下記の映像は9月22日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
私は幸か不幸か?集団自決は
沖縄の方の自己判断であると認識していましたが、
そうでしたか・・
指揮官が罪を被ったとは、初耳でした。
単に金銭的な問題だけならまだしも、
戦争に関してはA級戦犯やらと特に責任者への
風当たりは未だに強いですものね。
良かれと思って請け負った事なのに
子孫に迷惑が掛かるとは夢にも思わなかった事でしょうね。それだけ一人の人の命には
人間の考えが及ばない程の重みと繋がりが存在
するのでしょう。
いえねこ 普通に考えればわかりますが、当時の軍人が誰のために戦っていたのか履き違えてると考える方がおかしいですよね。 そして誰が最初にウソを言い始めたのかわかりませんが、悪意を感じます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 集団自決に関しては、真実をもっと多くの人々に知っていただく必要があると思います。
そのうえで自由な言論ができれば、それはそれでよいことです。
いえねこさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、底知れぬ悪意を感じますね。
軍人であろうが誰であろうが、いわれなき誹謗中傷は許されないはずですが…。