それに、数人の軍関係者である保安部隊員が殺された報復として、二百数十人の民間人を含む日本人を虐殺するというのはどう考えても筋が通りません。では、なぜ本来は親日であったはずの冀東(きとう)防共自治政府の保安部隊が、あそこまで残忍な虐殺を行ったのでしょうか。
これは最近明らかになったことですが、実は保安部隊は通州事件以前から反日側に寝返っており、事件の際にまず日本人居留民らを通州城内に集合させ、その後に門を閉めて計画的に虐殺を行っていたようです。
要するに、事前に日本人の虐殺を計画し、かつ実行に移したことになりますが、こうした血の通った人間とはとても思えない暴虐な組織的行為は、当時の日本人も、現代の日本人も、まったく想像すらできないことです。我々にはこういう残虐なことをするセンスが初めからありません。そうであるからこそ、我々は通州事件が起きたことを決して忘れてはならないのです。
それにしても、通州事件の存在をこれまで口をつぐんで無視し続け、ごまかせなくなると事実の本質を歪(ゆが)めようとする人々は、この虐殺がもたらした事態の深刻さに気づいていないか、あるいは気づかないふりをしているつもりなのでしょうか。「通州事件の残虐さに当時の多くの日本人が激高し、対中感情が一気に悪化してこの後の中国との関係に決定的な影響を与えた」。この歴史的事実をしっかりと理解し、かつ教えなければ、我が国を含む近現代史の真実は永久に見えてこないのです。
※下記の映像は7月3日までの掲載分をまとめたものです。





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青田です。 黒田先生
青田です。
この通州事件を起こした主犯とされる
張慶余は、その後、中将にまで、昇進し、
1963年に死に天寿を全うしています。
これは、結果論ですが、日本が、大東亜戦争に
勝利さえしていれば、彼らを戦後、裁くことが出来たと思います。
私は、日本軍が、シナで、通州事件のようなことをしていたと、学校で、教わっただけに、
脳から、血が吹き出そうになっています。
国賊は、戦後の日本にもいたということですね。
青田さんへ
黒田裕樹 確かに非道な話です。
絶対に風化させてはならないですね。
ぴーち こんばんは!
日本人にこの様なセンスが無いだけに
想像を絶する程の衝撃的なショックを受けると
口をつぐんでしまいがちだと思うんですよね。
戦時中、酷い目に遭った方は
余りに衝撃的な事を目撃してしまった時など
人にその事実さえ話す事が出来ずに自分の中に
閉じ込めてしまう人も居ますしね。
こういう事実に耳を傾けよう、掘り起こそうという
社会的な動きが後押ししてくれる様な気がします。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、そのような「良心的に口をつぐむ」方々だけであれば良いのですが…。
歴史のねじ曲げだけは絶対に許されません。
ぴーち ということは、基本
私は良心的な人間と言う事でしょうかね?
それを知れて良かったです。
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 仰るとおりでよろしいかと思います。
日本国内では理想的ですが、その良心につけこんでプロパガンダを強引に押し通そうとする勢力が許せませんね。
通州事件は民間人を巻き込んで虐殺するという、当時の国際法に明らかに違反する暴挙であり、軍同士が衝突した盧溝橋事件とは全く性格が異なります。にもかかわらず、大東亜戦争後の極東国際軍事裁判(=東京裁判)では、通州事件についての論議は却下されてしまいました。
また我が国の歴史教育においても、ほとんどの歴史教科書が通州事件に関する記載を省いているなど、史上稀に見る日本人の大量虐殺という重要な事件でありながら、その扱いは極めて不当であると言わざるを得ません。なぜこのようなことになっているのでしょうか。
東京裁判などを基本としたいわゆる「自虐史観」においては、我が国による行為はすべて「悪」とみなされることが多く、特にアジアの近現代史においては「日本が悪玉、中国(あるいは朝鮮)が善玉」という一方的な史観が主流になっている傾向がありますが、通州事件に関しては中国側の悪行はごまかしようがないほど残忍なものであり、これを詳しく説明すれば「自虐史観の洗脳」が崩壊してしまうため、卑怯にも口をつぐんできたのです。
しかし、21世紀を迎えてインターネットによる情報が広がったことで、通州事件の残虐さが次第に理解されると、これまでのように口をつぐんでごまかすことができなくなってしまいました。すると、今度は「通州事件が起きたのはそもそも日本軍が通州の保安部隊施設を誤爆したからだ」と主張し始め、事件の本質を歪(ゆが)めようとしていますが、もちろんこの考えは正しくありません。
※下記の映像は7月3日までの掲載分をまとめたものです。





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青田です。 黒田先生
青田です。
日本人自身が自虐史観から、脱却しないと
日本人としての自信と誇り(大和魂)は、
復活できないと思います。
●シナは、通春事件を起こして、日本の『南京大虐殺』をでっち上げました。
しかし、これは、シナの歴史的お家芸で、三国志では、一番、人を多く殺し、卑怯な蜀=善、魏=悪に描かれています。
その理由は、この三国志が書かれたのは、明の時代です。前の王朝の元は、モンゴルですから、当然、モンゴル人の血を引く、魏=悪として、描きました。
● アメリカも原爆を落としたのに、広島では、
『こんな過ちは、二度を起こしません。』と石碑があり、日本人が原因で、原爆を落としたようになっています。
これは、アメリカの常套手段です。
南北戦争の時、北部=善、南部=悪のようにプロパガンダし、復讐裁判をしました。
しかし、北部の人間は、人種平等主義者ではありません。
北部にいた黒人を追い出して、アフリカに創らした国がリベリアです。無茶苦茶になっています。
しかし、そのことをアメリカの北部の人間は、一切、言いません。
そもそも、戦争に一度負けただけで、ここまで
日本人は、自信を失くす必要は、全く、ありません。世界中で、どんな大国(かつての大国)でも
戦争に一度も負けたことがない国は、ありません。
大事なことは、今度は、負けないように、分析・研究することですが、日本は、戦後70年間、
自虐史観という自縛で、その思考を停止させています。
ぴーち こんばんは!
確かに日本人の思想は、悪く言えば「自虐的」。
良く言えば「寛容」「懐が深い」と表現出来るでしょうか。
諸悪の根源は自分自身が作り出すもので、全て自分の中にあるという考え方は、
とても崇高で、精神的には非常に次元の高い考え方が出来る事に繋がると思います。
けれど、それよりも次元の低い所で物事は
いつでも動いていて、足元で邪魔をするものですよね。
同じ次元に下がれば、互いに衝突が起こるものです。
こちらが一歩下がれば、あちらの勢力が上回る。
こちらが次元を高めれば、あちらはもっと次元の低い事で襲いかかろうとする。
この力関係は難しいですが、
それでも黙ったままでは、ただの弱腰としてしか認識されませんので、鋭い横槍には毅然とした態度で立ち向かう事で、ここまでは許されても、それ以上は立ち入る事が出来ないという線引が認識されるのだと思います。
言い方は悪いですが、イヌの調教に似ています。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、言われてみれば確かのそのとおりですよね。
いずれにせよ、正しい歴史を伝えることで、一日も早く自虐史観から脱しなければなりません。
暴支膺懲
青田です。 黒田先生
青田です。
この通春事件から
『暴支膺懲』が国民のスローガンになったんですね。
青田さんへ その2
黒田裕樹 そのとおりです。
通州事件の悲惨さに関しては、当時の新聞記事や我が国の外務省による公式声明、あるいは極東国際軍事裁判(=東京裁判)で受理された宣誓口供書(せんせいこうきょうしょ)などによって、以下の内容が知られています。
(※ここから先はグロテスクな記述が続くため、隠しています。ご覧になられる方は、マウスをドラッグしてください)
「飲食店では7~8名の女性が全員強姦(ごうかん)され、裸体で局部を露出したまま射殺されており、その中4~5名は局部を銃剣で刺殺されていた。商館や役所に残された日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった」。
「旅館の入口で発見した女将らしき人の死体は、着物をはがされて全身を露(あら)わにされ、何度も銃剣で突き刺した跡があった。局部は刃物でえぐられたらしく、血痕(けっこん)が散乱していた。別の場所で惨殺された男性は目玉をくり抜かれ、上半身は蜂の巣のようだった」。
「別の場所では手の指をすべて切断されていた子供の遺体が見つかったほか、日本人商店の近くの路上で放置されていた主人らしき人の死体は、胸や腹の骨が露出し、内臓が散乱していた。この他にも、妊婦の腹を切り裂き、中から胎児を出して殺害する者もいた」。
およそ人間がすることではありませんが、中国兵は平然とそれを実行し、我が同胞二百数十名が無惨にも虐殺されたのです。これは平和に暮らしていた日本人が多数住む町で、突然起こったことなのです。ちなみに、戦後にでっち上げられたいわゆる「南京大虐殺」では、逆に日本軍がこの残虐行為をしたようなデマが流されています(詳しくは後述します)。
※下記の映像は7月3日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
私の祖父も戦争で戦って来た人間ですので、
戦争中のそら恐ろしい体験談を耳にした事が有りますので、今回のお話はしっかり見させて頂きました。けれど、それが事実ならそれに対して目を逸らしてはいけない気がしました。
人間とは一皮むけば、残酷極まりない行いも
平気で行えるものであることを認識した上での
戦争の醜さを広く知るべきだと思います。
不思議です。
青田です。 黒田先生
青田です。
最初、怒りの感情を感じましたが、
ただ、疑問に思うのは
当時の日本人は、シナが残虐なことを平気でするということを
事前に知らなかったのが不思議です。
シナの歴史を勉強すれば、この残虐性は、日常茶飯事です。(これは、ヘイトスピーチではなく、史記、史略に書かれている事実です。)
福沢諭吉は、それを知っていたから、シナには
関わるなと言ってました。
『それは、その精神性が1000年前の変わっていないだけではなく、自分のことを棚に置いて、全て、他人のせいにする。』と語っていました。
ただ、今も、日本人は、また、シナに騙されているのには、呆れますが。。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、戦争は醜いです。
だからこそ、過去に日本人が受けた悲惨な虐殺事件を、私たちは長く記憶にとどめねばなりません。
青田さんへ
黒田裕樹 不思議に思う気持ちや、呆れる思いは理解できるつもりです。
だからこそ、過去と同じことを繰り返さぬようにしなければなりません。
このような複雑な事情が存在していたこともあったからか、盧溝橋事件後の昭和12(1937)年7月に、関東軍の爆撃機が国民政府軍の兵営を空爆した際に、間違って冀東防共自治政府の保安部隊を攻撃してしまい、数人の保安部隊員が犠牲となりました。
事故発生後、関東軍は直ちに責任者が自治政府の高官を訪問して謝罪し、保安隊にも訪問して事情を説明したほか、遺族のもとにも足を運ぶなど適切な事後処理を行ったため、この事故は一応の解決を見ましたが、その直後の通州で、常識では考えられないような虐殺事件が起きてしまいました。
昭和12年7月29日、通州にいた日本軍守備隊や日本人居留民の二百数十名が、冀東防共自治政府の保安部隊によって虐殺されるという事件が発生しました。これを通州事件といいます。中国兵は日本人を婦女子に至るまで、およそ人間がやったとは思えぬような残忍極まりない方法で虐殺しましたが、この事件のあまりの残酷さに我が国の世論は一気に沸騰し、対中感情が取り返しの付かないほど悪化してしまったのです。
※下記の映像は7月3日までの掲載分をまとめたものです。





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青田です。 黒田先生
青田です。
『保安部隊=まとも』という日本人の性善説がまた、裏目に出ました。
これは、現在でもそうですが、第三世界の国(アフリカ、南米など)では、警官が強盗よりも
凶悪なことをすることが日常茶飯事です。
日本人は、この当時、シナを文明国という前提で、観たのがあきらかなる失敗でした。
第三世界の国の保安部隊として、観るべきでした。
これは、推測ですが、日本人は、はるか昔から、
シナから、いろいろな文化が伝わった歴史があり、その前提で、シナを文明国と思い込んでしまったと思います。
ただ、シナが歴史上で、文化・文明が発達したのは、春秋時代、唐くらいで、あとは、ひたすら野蛮な殺し合いを繰り返していました。
青田さんへ
黒田裕樹 確かにそうですね。
いずれにせよ、当時の保安部隊の残虐な行為は到底許されるものではありません。
ぴーち こんばんは!
記事の内容からずれてしまいますが、
先日、NhKの朝のニュースで、http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2015/05/0529.html
日本人のルーツと、中国、韓国などのアジアの人々ルーツは違うのではないかという話題が挙げられていて、それらの国と日本人は同じアジア系の顔つきはしているものの、遺伝子が違っていて、日本人は縄文系の遺伝子を持つ、違った人種だと結論づけていました。
やはり、根本的に
大陸に住む人間と島国に住む日本人とは
基本的な考え方、性格が違うのは当然なのだなと
改めて思いました。
そう考えると、あたかも同じ人種のようで有りながら、(話せば判る気がする)
まるで
考え方が違い、性格も真逆であるのも頷けました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 その情報は私も以前から知っておりますが、だからこそ起きた悲劇なのかもしれません。
ただ、この事件はあまりにも…。
実際に盧溝橋における国民政府軍に共産党のスパイが紛(まぎ)れ込んでいて、彼らが日本軍に向けて発砲したことが中国側の資料から明らかになっていますし、また日本軍側でも盧溝橋事件の直後に中国共産党司令部に向けて「成功せり」という緊急電報が打たれたのを傍受(ぼうじゅ)したという証言が出されています。
なお、第二次世界大戦後に開かれた極東国際軍事裁判(=東京裁判)では盧溝橋事件の審査も進められましたが、なぜか途中で中止されています。おそらくは中国共産党の陰謀と分かったことで、裁判の進行に都合が悪いと判断されたと考えられています。
また、盧溝橋事件の真相が明らかになるにつれて、最近では「そもそもそんなところに日本軍がいたから悪いのだ」という意見のすり替えが平然と行われているようですが、日本軍が北京郊外の盧溝橋付近に駐留していたのは、先述のとおり北清事変後の北京議定書によって認められていたからであり、日米安全保障条約によって現在の我が国にアメリカ軍が駐留しているのと同じ理屈です。
※下記の映像は7月3日までの掲載分をまとめたものです。





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青田です。 黒田先生
青田です。
中国共産党軍の作戦は、日本人的な気質からは
卑怯と思うかもしれませんが、
孫氏の兵法では、戦いの常道です。
孫氏の兵法の大前提は
① 戦いとは、敵を騙すこと。
② 長期戦は避けるべし。
→ 勝てない場合は、偽りの和平を結ぶべし。
③ スパイの徹底活用。
④ 離間の策。(内部分裂を誘導する。)
→これは、明石元次郎は、ロシアで行いました。
⑤ 漁夫の利。
これを、感情論だけで、卑怯というのは、勝手ですが、かつのて、日本の戦国時代では、これは、定石でした。
(例、毛利元就、武田信玄など)
明治時代に、西洋の知識を吸収し、国際法を順守するのは、素晴らしいとは、思いますが、戦いとは、武器の性能だけでは、決まりません。
大事なのは、今の日本人が、国際社会のパワーゲームでは、生き残れません。
戦いとは、騙しあいだと思います。
青田さんへ
黒田裕樹 全くその通りですね。
当時の日本人は、戦国時代のことを忘れていたのかもしれません。
ぴーち こんばんは!
正攻法で攻めても、相手がひとつも怯むことなく
むしろ、後から後から色々な条件を付けて
問題をすり替えようとするのは、相手の言っていることが、根本的に歪んでいる、つまり間違っているという証なのでしょうね。
よく言われている事ですが、テニスの試合などで
いかに相手が球を取りにくい場所にボールを落としてやるかで勝敗が決まると言われていますが、
スポーツで勝利するという事は、どんな手段を使ってでも相手を負かしてやるという気持ちで挑まなければいけないものですものね。
直球が好きな私の好みでは有りませんがww
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私も好みではありません(笑)。
…とはいえ、国際社会で生きていくには、当時も含めて中国共産党のようなしたたかさが必要なんですよね。
毛沢東の能力
青田です。 黒田先生
青田です。
毛沢東は、(完全なサイコパスで、人類で一番、人を殺した人間。)ですが、
『戦争は、手段であって、目的ではない。』は、知っていました。
彼は、
思想的には、共産主義者ではなく、実は愛読書は
『韓非子』でした。
この『韓非子』は、秦の始皇帝が愛読したほどの
徹底的に人間を性悪説を説いています。
戦い方は、孫氏の兵法を活用しています。
わかりやすく、説明すると
日本(性善説)vs 毛沢東が指揮する共産党(性悪説)
日本(武器の性能で勝敗が決まると思っている。)vs毛沢東の指揮する共産党(戦いとは騙し合い。)
この構図は
なぜか、今も変わってない気がします。
青田さんへ その2
黒田裕樹 確かに変わっていないですね。
いい加減、お人よしを何とかすべきですが…。
こうすべきだった
青田です。 黒田先生
青田です。
個人的には、二枚舌で、中国国民党と共産党を戦わせて、日本こそ、漁夫の利を得るべきでした。
(シナ人は、自分勝手主義で、愛国心はないので、目先の利益には、弱いです。)
そして、北進して、ソ連のシベリア旅団を足止めさせます。
さらに、日英同盟の復活を強く、望んでいたチェンバレン首相の時に、日英同盟を復活させて、
アメリカには、中国の権益の一部を分割させ、
超反日の民主党の大統領であるルーズベルトに
たいして、ユダヤ人にロビー活動を頼んでおけば、
少なくとも、300万人の日本人の同胞がなくなることは、なかったと思います。
青田さんへ その3
黒田裕樹 今となってはどうしようもないですが、確かにそうすべきでしたね。
我が国の今後のためにも、反省点を活かすべきでしょう。
それに、発砲を受けた部隊はその直前まで夜間演習を続けていましたが、誤射事故を避けるために実弾を使用しておらず、鉄カブトさえかぶっていませんでした。
また事件勃発(ぼっぱつ)後の日本軍は、事態の拡大を恐れてできるだけ早く収拾しようと努め、8日には陸軍や外務省が不拡大の方針を決定したほか、現地においても9日午前2時に現場での停戦協議が成立し、事件から4日後の11日には早くも停戦協定が成立しました。なお、このときに我が国では盧溝橋事件のことを「北支事変」と命名しています。
ところが我が国の意に反して中国との衝突はこの後ますます激化し、ついには戦線が大陸全土にまで及んでしまうのです。なぜこのようなことになってしまったのでしょうか。
当時は不明だったこれらの理由ですが、今では明らかになっています。実は、盧溝橋事件は中国共産党が仕掛けた罠(わな)だったのです。
※下記の映像は7月3日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
罠を仕掛けようとする人間にかかれば
どんな微かな反応であれ、(例え偶発的であれ)それが立派な証拠と
見なして事を大げさにしようとするものですね。
理不尽な事ばかり言う人間に正論で正そうとしても
聞く耳も持たれないばかりか、ここぞとばかりに攻め込んでくる姿勢に情けなさを感じますし
また、悔しくも有ります(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 全くそのとおりですね。
国際社会を生き抜くには、時には正攻法以外の方が良いのかもしれません。
昭和12(1937)年7月7日午後10時40分頃、北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)付近に駐屯していた日本軍が演習を終えた時、何者かが軍に向けて発砲しました。日本軍の周囲には国民政府軍が駐屯していたので、彼らの仕業ではないかと思った日本軍は軍使を派遣しました。
ところが、翌8日の深夜3時25分頃に再び日本軍に向けた発砲事件が起きたため、さすがにこの時は日本軍も戦闘態勢に入りましたが、事件の拡大を恐れて直前で攻撃を中止しました。
すると、今度は日本軍が攻撃してこないと高をくくったのか、明け方の5時30分頃に国民政府軍が本格的な銃撃を浴びせてきたため、ついに日本軍も反撃を開始しましたが、最初の発砲からすでに約7時間も経過していました。
以上が盧溝橋事件の真相です。
※下記の映像は7月3日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
>最初の発砲からすでに約7時間も経過していました。
日本ってそういう所が有りますよね。
慎重なのは良いですが、どうもいつも一歩出遅れて
誤解される場面が多い様な(^_^;)
まあ、今回の場合は日本の汚名返上の為の誤解解きのお話なのでしょうけれど。
それにしても、今回の米国オバマ氏に関してもそうですが、アメリカが何も仕掛けて来ないと
言う思惑が広がると途端に中国はアメリカが攻めて来ない事を良いことに好き勝手し放題する。
昔からその傾向は続いて来ているんですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > まあ、今回の場合は日本の汚名返上の為の誤解解きのお話なのでしょうけれど。
今回はそのとおりですが、日本人には確かに誤解を招く行動が多いですね…。
> それにしても、今回の米国オバマ氏に関してもそうですが、アメリカが何も仕掛けて来ないと
> 言う思惑が広がると途端に中国はアメリカが攻めて来ない事を良いことに好き勝手し放題する。
> 昔からその傾向は続いて来ているんですね。
そのとおりです。
だからこそ、自衛隊などのような抑止力が必要なんです。
張学良がなぜ中国共産党に寝返ったのかは諸説ありますが、いずれにせよ西安事件によって、蒋介石は共産党との内戦を中止して抗日へと方針を転換することになりました。
なお、1937(昭和12)年9月に国民政府は正式に中国共産党との内戦停止と抗日民族統一戦線の形成に踏み切りましたが、これらの動きは今日では第二次国共合作といわれています。
西安事件をきっかけとして、中国大陸では国民党と共産党との内戦が中止され、彼らの牙(きば)が一斉に我が国に向けられることになるのですが、当時の日本政府がどこまで事態の深刻さを理解していたかは分かりません。
ただ、我が国で共産主義に共鳴し、ソ連のスパイであった尾崎秀実(おざきほつみ)をブレーンとした第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣が誕生した直後に、まるでそれを待っていたかのように「ある出来事」が起きてしまったという、偶然とは思えない歴史的事実があったことだけは間違いありません。
※下記の映像は7月3日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
私が内容をよく理解して居ないのかも
知れませんが、
国民党と共産党の内戦が終息した際に
どうして日本へ一斉に牙をむく事態になってしまったのでしょうか?
やはり外国は敵であるという考えの元からなのでしょうか?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 国民党と共産党が内戦状態となれば、中国の国内で戦闘が行われるため、日本は直接関係ありません。
しかし、国共合作が実現すれば、内戦が終結して両党のエネルギーが一斉に我が国に向けられることになるからです。
しかも、日中の争いのうち、中国側はほとんどが国民党でした。国民党が戦っている間に共産党が力を蓄えたことで、戦後に再び起きた内戦で共産党が勝利し、中華人民共和国が誕生する流れをもたらしたのです。
その一方で、満州のさらなる防衛強化のためには、華北を日本の影響下に置いた方が良いと関東軍が考えていたことから、昭和10(1935)年に冀東(きとう)防共自治政府が樹立されるなど、いわゆる華北分離工作が進められました。なお、日本政府は昭和11(1936)年1月に「第一次北支処理要綱」を閣議決定していますが、これは華北分離工作を国策としたものと解釈されているようです。
国民政府との激しい勢力争いを続けていた中国共産党は、事態を打開するために抗日救国運動を提唱し始めましたが、これはヨーロッパにおいてソ連が支援した人民戦線運動(人民戦線とは自由主義から無政府主義まで幅広く結集した組織のこと)と同じ性格を持っていました。なぜなら、抗日救国運動や人民戦線運動は救国のためとか、あるいは世界の人民と連携して行動するといった建前ばかりではなく、各国でナショナリズムをあおることによって、共産主義への敵対心を緩和させることが本当の目的だったからです。
中国共産党が提唱した抗日救国運動は、1935年から1936年にかけて数多くの在留日本人が殺されるなどのテロ事件を起こしましたが、その間に共産党が山西省(さんせいしょう)に侵入するなど勢力の拡大をもたらしたため、国民政府の蒋介石(しょうかいせき)は中国共産党に対する本格的な掃討作戦を開始しました。
蒋介石の動きに対し、中国共産党は陝西省(せんせいしょう)の延安(えんあん)にまで追いつめられましたが、ここで起死回生の事件を起こすことによって、共産党の勢力が回復するとともに、国民政府や我が国に対して深刻な影響を与えてしまったのです。
※下記の映像は7月3日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
日本と中国共産党と、中国政府との
三つ巴の戦いが繰り広げられたわけですね。
その後の結果が気になります。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > その後の結果が気になります。
今回は途中経過で終わりますが、そこだけでも相当なストレスになるかもしれません。
いずれにせよ、およそ人間の所業とは思えない行為を平気でやる民族も存在する、ということですね…。
なお、二・二六事件をきっかけとして陸軍内部で皇道派はその力を失い、統制派が主導権を握ることになったのですが、クーデターによる「血の粛清」の爪痕(つめあと)は想像以上に大きく、この後は統制派の意思が陸軍の意思、ひいては我が国全体の意思として大きな影響を持つようになるのです。
二・二六事件によって岡田内閣は総辞職し、かわって広田弘毅(ひろたこうき)が首相となって新たな内閣を組織しました。挙国一致内閣として成立した広田内閣でしたが、陸軍の主導権を握った統制派の影響は避けられず、その目標に経済の国家統制強化をめざした「広義国防国家」を掲げました。
また、陸軍の強い要求を受けた広田内閣が、廃止されていた軍部大臣現役武官制を復活させたため、軍部の政治に対する影響力をさらに強めることになってしまいましたが、このことが大東亜戦争後に開かれた極東国際軍事裁判(=東京裁判)において、文官でただ一人A級戦犯にされて死刑となった理由の一つではないかといわれています。
※下記の映像は6月21日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんにちは!
民衆の怒りが留まる所を知らずに
大きく拡大し、それを押しとどめようとしても
何の効力も発揮せずに、押し流されてしまう
時が有りますよね。
いくらその流れを変えようと頑張ってみても
多勢に無勢。
勢いに身を任せる他為す術が無いものですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
だからこそ、国民の真の幸福を追求した政治が求められています。
対立が多すぎます。
青田です。 黒田先生
青田です。
この当時の対立軸が多すぎますね。
対外的には
●日本vsアメリカ、シナ
国内的には、
● 政党間対立。
● 政府 vs 軍。
● 陸軍 vs 海軍。
● 陸軍の皇道派vs統帥派。
それにしても、国外は、ともかく、国内で
なぜ、ココまで、バラバラになったのかと不思議に思います。
いつの時代でも、内部抗争は、国力を弱体化させますね。
青田さんへ
黒田裕樹 確かに多すぎますね。
こうなった原因は一体なんだったのでしょうか…。
最終的に利益を得た国家や人物などを疑うべきかもしれませんが。