例えば、紀元前660年に橿原宮(かしはらのみや)で即位された、神武天皇(じんむてんのう)以来の数々の伝承がある大和朝廷が、最近では「ヤマト王権」と、まるでその他大勢の政権の一つという扱(あつか)いを受けていることです。
また、隋(ずい)に対して毅然(きぜん)とした態度で対等外交を貫き、我が国独立のきっかけをつくった偉大な政治家の聖徳太子(しょうとくたいし)が、最近の研究では「いなかった」ことにされたばかりか、多くの教科書で本名の「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」あるいは「厩戸王(うまやどおう)」という表記がされています。
この他、鎌倉幕府の成立が、朝廷から政治の実権を委譲(いじょう)された重要な出来事である、征夷大将軍への就任の1192年ではないことになっていますし、さらには、江戸時代の農民が原則として生活に不自由していなかったにもかかわらず、なぜか「貧農史観」で「戦う農民たち」という一面的な教育が続けられています。
いったいなぜこのようになってしまったのでしょうか。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんにちは!
歴史と言うのは、調べていくうちに
新たな
証拠やらが見つかって、これまでの常識が
見事に覆された。。などという事が有るとは思いますが、聖徳太子がご本名になってしまうと
何故か印象が悪くなってしまうのが、悲しいですね(T_T)
それと、いい国作ろう!で覚えた元号が
違っていた・・というのも、学生さんは苦労が増えますね。。(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 全く仰るとおりです。
それが本当に真実であればともかく、プロパガンダによるものであれば、先人に申し訳が立ちません。