その後の我が国は、統帥権を盾にした軍部の暴走を政府が止めることができず、国家としての統制のとれない二重政府の状態と化してしまったことによって、やがては「昭和の悲劇」ともいえる戦争状態へと突き進む原因の一つになってしまったのです。
統帥権の独立は明治憲法の重大な欠陥だったのでしょうか。あるいは解釈や運用の誤りだったのでしょうか。
ただはっきりと断言できることは、統帥権干犯問題が引き金となって我が国は大東亜戦争を戦い、結果として敗れたことで、明治憲法はその存在を否定され、GHQ(=連合国軍最高司令官総司令部)の命令によって日本国憲法が新たに制定された、ということです。
※下記の映像は3月20日までの掲載分をまとめたものです。





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- こんばんは!
素人の私などはただ平面的、断片的な感想を述べる事しか出来ませんが、
どんなに優れた憲法でもやはり万能ではなく
この時代の世界情勢とかかわり合いの中で
この憲法の脆弱化していた部分が露呈してしまったという事でしょうかね・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るお見立てで間違いないかと思われます。
明治憲法の欠陥に大きな問題があったのはもちろんですが、それ以外にも複雑な事情がありますからね。
そのあたりについては、第47回歴史講座で詳しく紹介します。
統帥権干犯問題を知らなかったアメリカ
青田です。 黒田先生
青田です。
この統帥権干犯問題で、二重政府になり、
陸軍・海軍がバラバラになったことが
悲劇を生んだと思いますが、
ここで、信じられないブラックジョークのようなことがあると思います。
東京裁判で、連合国軍は
「東京裁判における「A級戦犯」のA級たるゆえんは、満州事変このかた、大東亜戦争に至る前、日本が行ったいわゆる「侵略戦争」にたいして、被告が共同謀議に参画したか否かによって、逮捕状が出されていました。」
そもそも、共同謀議が出来ていれば、あの戦争自体、起きなかったか、勝てた(和平交渉)わけです。
(ほとんどのA級戦犯は、裁判所で、始めて、顔を合わせた人間が多かったと聞きます。)
それが出来ずに、バラバラだったから、悲惨な状況になりました。
おそらく、連合国軍は、明治憲法の統帥権干犯の問題さえ知らなかったようですね。
ちなみに、余談ですが、連合国軍は、東京裁判の時、戦犯として、山縣有朋を探そうとしたそうです。
青田さんへ
黒田裕樹 なるほど、歴史に無知な人間が連合国側にもたくさんいたということですか。
「愚者は経験に学ぶ」という格言を地で行ってますね。